「“その日”までの16日間」看取りのプロ、そして娘としてやるべきことは?尾崎英子さんのエッセイ『母の旅立ち』より
前編では母のがんの発覚、そして別れて生きていた四姉妹が集結し、治療を受けようとしない母に子供時代同様、振り回される様子をお伝えしました。そして病状は急速に悪化し、残された時間はわずか十六日。尾崎英子さんのエッセイ『母の旅立ち』より、実母の旅立ちが近づく時に感じた尾崎さんの赤裸々で複雑な感情をつづります。(後編)
▼前のお話▼
>>【前編】破天荒な母に振り回される四姉妹の看取りとは?尾崎英子さんの初エッセイ『母の旅立ち』「よしこ、ほんまにあかんぞ」——父からのSOS
八月一日早朝、父から次女・ようこさんと三女・あきこさんに緊急の電話が入りました。
「よしこ、ほんまにあかんぞ」
母のよしこが夜中にうめき出し、苦しそうにしているとのこと。介護保険の申請もまだ途中で、ケアマネジャーとの面談は翌週の予定でした。
「ガクッと来るのは突然」
ようこさんの言葉通り、母の容態は急変していました。
「リビングのこたつのところで寝転がってんで。痛いんちゃうか、丸まって動かんわ」
母はすでに階段を上がれず、二階の寝室には行けない状態でした。介護ベッドも拒否していた母の姿を思うと、胸が締めつけられるようでした。
「死なない」と言い張る母——その真意は?
「死から目を背けて虚勢を張り、何もしないできたのか。本当に死なないと思っているから、何もしなかったのか。それとも、ウルトラCなのか」
母の言葉と行動は、娘たちを最後まで惑わせ続けました。
「悲しいというより、寂しい」
尾崎さんが感じたのは、母との距離感でした。理解し合えないまま時間が過ぎていくことへの寂しさが、心に残ります。
「血を分けた親子として、もう少し通じるものを感じたかった」
母の最期が近づくにつれ、母との関係を改めて見つめ直すのです。またこの寂しさには尾崎さんの生い立ちが関係しています。
母の過去——ちゃあちゃんとの絆
「母がわたしの母親であるという実感が平均的な母子よりも薄い」
末っ子の四女である尾崎さんは、隣家の「ちゃあちゃん」に育てられました。母は出産後すぐに末っ子の尾崎さんをちゃあちゃんの家に預け、自宅に戻ったのです。
「ここで暮らしたほうが、この子は幸せやわ」
母の選択は、もちろん当時の尾崎さんには理解できませんでしたが、結果的に幸せな幼少期を過ごすことができました。
「『お母さん、ギリギリやったんやわ。あなたを産んでまもない頃やから、三十歳やったかな。(中略)ある時、気づいたら高いビルの屋上にいたんやわ』」
尾崎さんが小説家として走り出したころにあれこれと取材みたいに聞くようになった際に母から聞いた話です。生まれ故郷からたった1人大阪に嫁ぎ、跡継ぎの男子がなかなか生まれないことから義実家に認められない孤独。そんな母にとって、ちゃあちゃんは命の恩人だったといいます。
