92歳認知症の母が乳がん手術。4泊5日の入院後に待っていたのは…!?【認知症母との介護生活#61】
60代主婦の日常を、4コママンガとエッセイにしてブログで配信をしている、ぱいなっぷりんさん。その中から、「認知症母との介護生活」を順に紹介していきます。
▼「認知症母との介護生活」マンガ 1話から読む▼
>>想像の遥か上を行く発想をする母に、考えたことは?【認知症母との介護生活#1】スポーツの力は病院の待合室でも!
母が入院していた
4泊5日
私は
久しぶりに 朝寝坊したり
友人を呼んで 宅飲みしたりして
介護から開放された 貴重な時間を
楽しんだ
もちろん
頭の片隅に
母のことは あったけど
母の手術は
入院した翌日に 行われた
コロナ禍が収まりつつある といえども
付き添いは 禁止
手術は
患部の切除のみで
そんなに複雑なものでは なく
手術自体の心配は
大して していなかったけど
母は 92歳
なにか 不測の事態が
起こるかもしれない
加えて
母は 認知症
暴れたりすることはない
と思うけど
いつもと違う環境で
不安になって
何か 突飛なことをしでかす
可能性が
ない とは言えない
麻酔が覚めたあとの
せん妄も 心配だった
手術 当日
その 終了予定時刻を
知らされてなかった 私は
一日中
病院からの電話を 待っていた
午後になり
夕方になり 夜になった
でも
電話は なかった
着信拒否に なっているのか
それとも 機内モードか
何度も
携帯をチェックした
電話が かかってこない
ということは
何か あったのか?
いや 逆に
何かあったら
電話が来るだろう
よくよく 思い返してみたら
手術が終わったら 電話します
とは
言われてなかったような
私が 勝手に
術後の説明を してもらえる
と 思っていただけか
でも
病院にとっては
次から次へと 行う手術のうちの
一つかもしれないけど
私にとっては
高齢の母の 初めての手術だ
果たして
結果はどうだったのか
その後の体調や 本人の様子は
家族だったら
知りたいことは たくさんある
次の日も
その次の日も
私は
病院からの連絡を 待ち続けた
家族が最近手術した という知人に
その時の 病院の対応を
聞いてみたりもした
医療関係の仕事をしている
娘 ドラ子にも 聞いてみた
数少ないリサーチによると
病院によって 違いはあっても
何らかの連絡をするのが
一般的なようだった
自分から 電話してみたらいいのに
とも 言われた
でも
つい 遠慮してしまった
日本人の 悪いクセ
だって
入院も あと1~2日
悶々としながらも
知らせのないのは 良い知らせ
と言い聞かせて 迎えた
退院の日
私は
ナースステーションの前で
母を 待っていた
大分待たされた 後
看護師が
慌ただしく 母を連れてやってきた
これで 荷物は全部です
手術は 問題なく終わり
術後の経過も 順調です
ご本人が
痛みはない とおっしゃったので
鎮痛剤は 処方されていません
次の診察は 1週間後
以上!
と 機関銃のように まくし立て
超忙しいので
質問とか 無しね
という 無言の圧を
ビンビン かけてくる
(気がした)
どうしたんだ
なにか 病棟で
不測のトラブルでも 起こったのか
とは思ったものの
でも そこは
私も オバサン
KYになりきって 聞いてみる
入院中の 母の様子は
どうでしたか
ああ…
くそ 質問されてしまった
という絶望の吐息が
看護師の口から 漏れた
(気がした)
そして
少し 意地悪な口調で
術後は 何度か
部屋から出ようとして
ちょっと 大変でしたねえ
あ…そうでしたか
すみません
その 私の謝罪の言葉に
被せるように 看護師は
いいえ~ だいじょうぶですよ
と作り笑いをしながら
去るなら 今がチャンス
と言わんばかりに
では~
軽く 頭を下げて
逃げ去って行った
(気がした)
メチャクチャ 忙しそうだった
その理由は
あとから目にした ネットニュースで
なるほど と納得したんだけど
それは この本題とはズレるので
ここでは 省略
無事退院した 母は
思ったより 元気そうだったし
認知症が進んだようにも
見えなかった
家に帰って
手術痕を見せてもらうと
乳房を 温存する予定
とは聞いていたけど
想像以上に
豊かなお胸が 残っていたし
傷口も
思ったより ずっと小さかった
術後の痛みもない ということだし
これは 大成功なのではないか
そう 一安心していると
昼食後
母が 胸のあたりを押さえながら
ねえ 胸が痛いわ
お薬ないの?
と言い出した
えっ
鎮痛剤 もらってないよ
おかあさん 病院で
痛みはない って言ったんでしょ
と言う私の言葉に
そんなこと 言ってないわよ
だって 痛いもの
母は 一歩も 引き下がらない
はあ? 絶対 言ったでしょ
いつものように 格好つけて
と 心の中で叫んだけど
でも ここで
母を言い負かしたところで
なんの意味も ない
私は 黙って 薬局に走り
鎮痛剤を買ってきた
市販の鎮痛剤は
処方薬より 薬効が小さくて
痛みが 十分 抑えられないのか
その後も 母は
痛い 痛い
と言い続けた
次の日も その次の日も
それを言われる度に
私は 胃が キリキリと傷んだ
夜中
母が 3階の私の部屋まで
上がってきたことも あった
痛いよう
と訴え
布団に入り込んで来る 様子は
まるで 赤ちゃんのよう
でも 私にできることは
鎮痛剤を飲ませて
なだめることくらいしか ない
その痛みは
回復の過程の 痛みなんだよ
だから 時が薬だと思って
我慢して
でも
その夜の 母の気分は
なかなか 浮上しなかった
もう 死んでしまいたい
と さめざめと泣き出した
この程度の痛みで
そんなセリフを 吐くのか
それには
さすがに 私も
その発言
すご~く傲慢だよ
世の中には もっと大変な思いをして
生きている人がいるのに
と言ってしまったけど
そんな理屈
認知症の母に 通じるわけもない
そんな毎日だったので
次の診察までの 一週間を
私は 母以上に
指折り数えて 待ったのだった
そして
術後 初の 診察日
先生は
母の患部の 触診の後
モニターを確認しながら
傷口は
きれいに治ってきてますね
手術は問題なく終わったし
順調ですよ
とおっしゃった後
付け加えた
痛みとかも ないですね?
その言葉に
私は 即 反応した
この一週間
如何に 母が痛がっていたか
今こそ 伝えなければいけない
そして 口を開きかけた
その時
母が 一足先に 言葉を発した
痛みなんて ぜんっぜん
口の前で 手をひらひらさせ
鈴のような声で そう言いながら
先生には 大変お世話になった と
毎日 感謝しております
オホホホホ…
私は
椅子から 転げ落ちそうになった
なったが
ここで引き下がるわけには いかない
それは ウソです!
母は 毎日
痛い 痛い と言い続け
私は それを言われるストレスで
どうにかなりそうでした
今日は 鎮痛剤を 絶対
処方してください
すると 先生は
あれ…
鎮痛剤 出していなかったかな
不思議そうな声を 出し
ああ そうだ
確か ご本人が
痛みはない っておっしゃったので…
と母のほうを見ながら 頷いた
ほうら やっぱりね!
心の中で 私が思いっきりドヤったのは
言うまでも ない
先生は 鎮痛剤を たっぷり
出してくださった
加えて
傷口は もう塞がっているので
まあ 気休めですが
と言いながら 塗り薬も
それは
本当に ありがたかった
母の気を 一瞬でも
紛らわせることができるのなら
気休めでも
なんなら プラセボだって
だって 実際
家に帰った後
これ塗ると
ホント ラクになるわ
よく効く薬ね~
と 母は満足そうに
塗りまくっていたしね
その日の 診察の最後
先生は
生検の結果が
次回の診察までには 出ると思います
その結果によって
抗がん剤を含め
今後の方針を 決めようと思います
とおっしゃった
えっ 抗がん剤?
初めて 抗がん剤の可能性に
言及されて
私は ちょっと うろたえた
だって 抗がん剤といえば
私の中では
副作用が激しいイメージしか ない
もしかして 私
これから しばらく
母から
痛み に加えて
吐き気と 頭痛と
倦怠感と 脱毛の訴えを
耳タコされ
今までに増して
ストレスフルな日々を
送らなくてはいけないのか
ガ~ン
母の病状より 自分の感情を
優先して 心配してしまう
いけない娘なのだった
▼次回はこちら▼
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