私の毒親体験記
羨ましがられる「理想のお母さん」でもその裏の顔は…!?誰か私の話を信じて!【私の毒親体験記】
外では誰もが憧れる「理想のお母さん」。でも二人きりになると、私だけが知るもうひとつの顔が現れるのです。私はそれにおびえ続けました。
「理想のお母さん」の裏の顔は私にしか見せない
私の母(現在70代)は「理想のお母さん」と言われていました。
料理が得意で、家に人が来るとなれば腕を振るってご馳走を用意し、相手の好みに合わせたメニューをさりげなく出す気配りもできる人でした。
手先が器用で、私の持ち物もよく手作りしてくれました。幼稚園のバッグやお弁当袋、洋服まで、世界にひとつしかない可愛いものを用意してくれ、当時の私は嬉しくて友達に自慢したものです。
しかし私が幼い頃、家で二人きりになると母がまるで別人のように怒るときがたびたびありました。
私が怒られる理由は、ほとんどが母の機嫌によるものでした。同じことをしていても、機嫌が良ければ「まあいいわよ」と笑って済ませるのに、機嫌が悪い日は「なんでそんなこともできないの!」と大声で責められました。
食べるのが遅い、机の上にプリントを置きっぱなしにした、テレビの音が大きい……どれも些細なことでしたが、一度怒られると何度謝ってもなかなか許してもらえません。
誰にも信じてもらえないという孤独感
さらに、怒られるのは必ず二人きりのときでした。
父や他の人がいるときには、母は穏やかで優しい笑顔のまま。なので私が母に怒られて泣いたことを父やまわりに訴えても、「お前が悪いことをしたからだ」「大げさに言うな」「あの優しい人がそんなこと言うはずがない」と信じてもらえませんでした。次第に私は、誰にも助けを求められない孤独を感じるようになりました。
いったん怒り始めると母は容赦がなく、
「そんな性格じゃ誰にも好かれないよ」
「あんたなんかいらない!」
などと人格まで否定する言葉を浴びせてきます。泣けば「泣けば済むと思ってるの?」とさらに責められ、過呼吸になるほど泣いた夜もありましたが、それも誰にも言えませんでした。
しかし中学に入ると、少しずつ状況は変わりました。成長とともに反論できるようになり、ときには母の言葉の矛盾を指摘することもできました。母も次第に強く怒鳴ることは減りました。
しかし、小学校時代に植え付けられた母の顔色をうかがう癖や、「二人きりになると何をされるかわからない」という不安感は、大人になった今も完全には消えていません。
今思えば、母も仕事や育児のストレスがあり、やり場がなく近くにいた私にぶつけてしまったのかもしれません。
しかし、外ではみんなの憧れの女性、家では気分次第で私に怒りをぶつける。その落差の中で育った私は、誰かを信じる前にまず心の距離を測る癖がついてしまったのだと思います。
(40代・派遣社員)
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