私の毒親体験記
「モラハラの父を看取る」残ったのは恐怖からの解放。そしてなぜか抱えた”空虚”だった【私の毒親体験記】
幼少時代から続いてきたモラハラで、複雑な関係だった父の最期に立ち会った私。その時の湧いてきた複雑な感情がいまだに整理できません。
毒親だった父の余命宣告と、孫との再会
昨年、毒親である父を看取りました。母が亡くなってから20年、私たちの関係は常に険悪で、私に子どもが生まれて(父にとっては孫)再会した際も、父の借金が発覚して大喧嘩になったほどです。
父は昔からモラハラ傾向があり、どんなに私が気を使っても、些細なことで怒鳴ったり人格を否定されることがありました。そのため、大人になってからも父に会うたびに緊張し、言葉を選ぶのが習慣になっていました。
父の癌が再発したと聞いたとき、正直、複雑な気持ちでした。手術に立ち会うことになりましたが、「俺に指図するな」と相変わらず関係はこじれ、緊張したまま病院での手続きを進める日々が続きました。
余命は3ヶ月と宣告され、医師からの説明を聞きながらも、心のどこかで「もうこれ以上は関わりたくない」と思ってしまう自分に罪悪感を感じました。
その後、父はなぜか「あと2週間しかもたない」と言い出しました。医師は3ヶ月と言っているのに?といっても「あと2週間だ」と謎の断言。私は半信半疑でしたが、父が孫に会いたいと希望したため、私は子どもを連れて父に会わせました。
久しぶりに孫と再会した父の表情は、意外にも柔らかく、少しほっとしたように見えました。
そして、翌日から体調が急激に悪化し、言葉どおり2週間で息を引き取ったのです。
恐怖から解放されても、残る空虚
病院からの連絡で、臨終の場に駆けつけると、私はなぜか涙が止まりませんでした。一番感じていたのは「かわいそう」。
ひどい痛みが続き、医療用麻薬を使っている状態で、薄目を開けた父は「泣いているのか…ありがとう」と小さな声で言い、そのまま目を閉じ、数時間後、静かに息を引き取りました。その瞬間、恐怖や怒り、安堵、悲しみが入り混じった複雑な感情に襲われました。
父がいなくなった世界、長年抱えていた恐怖からは解放されました。子どもの頃から感じていた、父への理不尽な怒りやモラハラによる緊張感が、もう私の生活に影響を与えないことは大きな安心でもあります。
しかし一方で、空虚感も同時に押し寄せます。父がいなくなったことで、もう二度とあの怒りや威圧に触れることはなくなったのに、胸の奥にぽっかりと穴が開いたような感覚が残るのです。
最後の言葉も、うまく整理できません。恐怖や怒り、そしてわずかな愛情や感謝が絡み合った関係は、どうしてもすっきりとはならないのだと痛感しています。
それでも、父がこの世からいなくなった現実を受け入れながら、少しずつ心の整理をしていこうと思っています。
(40代・会社員)
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