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私の毒親体験記

「お前のためだ!」押し付けの強い父に否定され続けた結果…【私の毒親体験記】

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ゆうゆうtime編集部

「お前のためだ」という言葉とともに、私の世界は少しずつ壊されていきました。好きなものさえ口にできなくなったあの日々は、今も忘れられません。

自分の言うとおりにしないと人格否定する父

「お前のためを思って言っているんだ」
この言葉ほど、私を苦しめたフレーズはありません。
私の父は、一言で言えば「押し付けの強い人」でした。自分の価値観が絶対で、それ以外は間違っている。そんな考えを当たり前のように家族に向けていた人です。

とりわけ厄介だったのは、潔癖症でした。例えば、私が少しでも外出したら、玄関で服を脱いで風呂場に直行させられました。「外は汚い」「病気になったら大変だ、これもお前のためだ」と言い、日常の行動一つひとつにまで指図してきました。

言ったとおりにしないと「こんなこともできないのか」と怒られ、何回もやり直しをさせられました。そして、やり方に少しでも父の基準と違いがあると「お前はダメだ!」「何もできないのか」と人格を否定するようなことも言われました。

そんな父に対し、母は見て見ぬふり。自分が何か言っても事を荒立てるだけだと思っていたようで、どっちつかずのことを言うだけで何の助けにもなりませんでした。
そして私は次第に、自分で何かを判断することが怖くなってしまいました。

自分の世界がどんどん壊されてゆく

さらに辛かったのは、私の「好き」を否定され続けたことです。音楽、ファッション、本など、私が何かに興味を持ち始めると「くだらない」「品がないからやめなさい」と、いつも言われました。

中学生のとき、あるバンドの音楽に夢中になり部屋で聞いていると、「うるさい!雑音にしか聞こえない」としつこく言いにきて「クラシックを聴きなさい」とCDを渡されました。
部屋に好きな漫画のポスターを貼った時は「気持ち悪い!」と吐き捨て、「ちゃんとした美術を知らないからそんなのを良いと思うんだ。剥がしなさい」と何度も言われました。

私はただ自分の世界を大切にしたかっただけなのに、その小さな自由さえ踏みにじられたのです。

こうした日々が続いた結果、私は自分の好きなものについて口に出すことができなくなりました。好きだと思った瞬間「どうせ理解してもらえない」というあきらめで心を閉ざす癖がついてしまいました。
そして父と話すときは、否定されないように当たり障りのない嘘を言うようになってしまいました。

父なりに、私をちゃんと教育したかったという思いが強かったのだとは思いますが、父にとって望ましい人間を演じ本心を話せなかった日々を虚しく感じていました。

なので、せめて私は人の「好き」を否定せず、自分自身にもやさしさを向けられるようになりたいと思っています。

(40代・パート)

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