【べらぼう】松平定信(井上祐貴)と一橋治済(生田斗真)はなぜもめているのか?
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鷹橋 忍
横浜流星さんが主人公・蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう/蔦重)を演じる、2025年NHK大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめものがたり)〜」。当時の文化や時代背景、登場人物について、戦国武将や城、水軍などに詳しい作家・鷹橋 忍さんが深掘りし、ドラマを見るのがもっと楽しくなるような記事を隔週でお届けします。今回は松平定信(さだのぶ)と一橋治済(はるさだ)について取り上げます。
NHK大河ドラマ『べらぼう』第36回「鸚鵡のけりは鴨(おうむのけりはかも)」と第37回「地獄に京伝」が放送されました。
第37回では、井上祐貴さんが演じる松平定信と生田斗真さんが演じる一橋治済との間に、齟齬が生じつつある様子が描かれました。今回は二人の関係を中心にご紹介したいと思います。
松平定信と一橋治済は従兄弟同士
まず、松平定信と一橋治済の関係を復習しておきましょう。
八代将軍・徳川吉宗(よしむね)の次男・宗武(むねたけ)を祖とする「田安家」。四男・宗尹(むねただ)を祖とする「一橋家」。九代将軍・徳川家重(いえしげ/吉宗の長男)の次男・落合モトキさんが演じる重好(しげよし)を祖とする「清水家」。
この徳川将軍家一門の三家を「御三卿(ごさんきょう)」といい、松平定信は田安家の初代当主・宗武の七男、一橋治済は一橋家の初代・宗尹の四男です。つまり、松平定信も一橋治済も八代将軍・徳川吉宗の孫で、二人は従兄弟同士となります。
年齢は松平定信が宝暦8年(1758)生まれ、一橋治済が宝暦元年(1751)生まれなので、一橋治済が7歳年上です。ちなみに、蔦重は寛延3年(1750)生まれなので、松平定信は蔦重より8歳年下、一橋治済は1歳年下となります。
名君と将軍の父
松平定信は安永3年(1774)3月、17歳の時に、白河藩の藩主である久松松平家の当主・松平定邦(さだくに)の養子に迎えられることが決まりました。天明3年(1783)10月、26歳の時には松平家の家督を継ぎ、白河藩主の座に就いています。
この頃、ドラマでも描かれた火山の噴火、洪水、天候不順などによる大凶作から、「天明の飢饉(ききん)」と称される大飢饉にみまわれますが、松平定信の迅速な飢饉対策により、彼の領内では直接の餓死者は最低限に抑えられたといい(『福島県立博物館編『定信と文晁 松平定信と周辺の画人たち 平成4年度第3回企画展図録』)、名君としての評判が高まりました。
一方、一橋治済は天明6年(1786)8月25日に十代将軍・徳川家治(いえはる)が死去し、翌天明7年(1787)4月、治済の子で家治の養子となっていた城桧吏さんが演じる一橋家の家斉(いえなり)が、15歳で十一代将軍の座に就いたことにより、「将軍の父」としての立場を手に入れました。
松平定信は、この一橋治済と、尾張、紀伊、水戸の徳川御三家に擁立され、同年6月19日、30歳で老中首座(老中の最上位)に就き、天明8年(1788)3月に将軍補佐に任命されています。
