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山中漆器がV字回復した秘密! 老舗4代目が挑んだデザインブランド戦略

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ゆうゆうtime編集部

斜陽産業と言われる漆器業界で、快進撃を続けるブランドがあるという。
「KARMI(かるみ)」と名付けられた茶筒が2010年に「グッドデザイン賞」、2012年には世界で最も権威あるデザイン賞のひとつ「ドイツ連邦デザイン賞 銀賞」を受賞するなど、その商品企画が国内外で高く評価される「我戸幹男(がとみきお)商店」だ。

プロデュースするのは石川県加賀市山中温泉にある漆器店の4代目、我戸正幸さん(50歳)。1908(明治41)年に「我戸木工所」として曽祖父が創業した「木地屋」の考え方を受け継ぐ。石川県の漆器と聞くと「輪島塗」しか浮かばない編集者・依田が、飛ぶ鳥を落とす勢いの辣腕社長に「山中漆器」についてお話を聞いた。

漆器の元となる「木地(きじ)」を作る木地屋がルーツ

――いきなりですが、「木地」とは何ですか?

「木地」とは、漆を塗る前の漆器の最初の工程です。
石川県の漆器産業は「木地の山中」「塗りの輪島」「蒔絵の金沢」と言われ、山中漆器は木地を挽く、木地屋が多く集まる、全国一の挽物木地の産地なんです。安土桃山時代に始まり、およそ400年の歴史を持つとされています。

――なるほど。「我戸幹男商店」の始まりは、その木地を作る「木地屋」だったのですね?

初代が創業した「木地屋」を二代目の幹男が継ぎ、三代目の父が「我戸幹男商店」という産地問屋に業態変換しました。父は木地をひたすらに作るという仕事が苦手だったようです。

――木地屋から、問屋業に業態変更された。

自社で企画した商品や、その他の産地の商品などを集めて全国各地を行商するわけです。

――当時の業績はどうだったのですか?

世の中はバブル景気に向かっていましたから、山中塗器もギフト需要や旅館からの注文がバンバン入る絶頂期を迎えていました。当時の山中漆器全体の売り上げは現在の約4倍でした。ところが、バブル崩壊と共に減速……。

――そんなときに4代目を継がれたのですよね。不安はありませんでしたか?

長男が跡を継ぐのが当然の時代で、20歳から8年間、東京の漆器問屋で修業しました。その後、山中温泉に戻ってきたのですが、漆器が売れない現実に愕然としました。朝から「何をしよう……」と考えたり、FAXの前で「注文来ないな~」とぼやく毎日でした。

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