記事ランキング マンガ 連載・特集

中尾ミエ×井村雅代【スペシャル対談】70代同士の本音トーク!「定年後の生き方の探し方とは?」

公開日

更新日

ゆうゆう編集部

一歩踏み出すのに勇気なんかいらない、好奇心だけあれば!

ミエ 年齢を重ねる中で、自分自身に変化はありました?
井村 私が中国代表チームの監督に就いたのは57歳のとき。北京オリンピックが終わって日本に帰ってきたら「日本の水泳界にあなたはいりません」と言われたから、「ほな、また行くわ」。結局、63歳まで中国で教えました。でも私、50歳頃までは必死に頑張っていただけやった気がするんです。55歳頃から徐々に自分の考え方が整理できるようになってきて、それからはどんなことにも対応できる引き出しをたくさん持っている人間になれたかなと思います。
ミエ 私も無我夢中のときがありましたよ。でも、たとえば歌を頑張りすぎると観ているお客さんも疲れちゃうんです。これは私が考えた言葉なんだけれど、「力がつけば 力が抜ける」。力が抜けて歌うと自分もラクだし、お客さんも楽しめる。ある程度年齢を重ねて、そういうことに気がつきました。

中尾ミエ

ブラウス1万9800円、パンツ1万3200円/ともにDUE deux  ☎︎03-6228-2131 イヤリング1万4300円、リング4320円/ ともにアビステ ☎︎03-3401-7124 ショートブーツ3万8500円 /卑弥呼 ☎︎03-5485-3711

逆らわずとも意志は強く。柳のような生き方

井村 どんなにいい作品をつくりたいと思っても、そこにちょっと遊び心や息抜きがないと素敵な作品にはならない。そう気づくまでには時間がかかりました。そして、それは必死で努力して乗り越えてきた人が言えることです。
ミエ そうですね。そして、力を抜くのと手を抜くのは違う。手は抜かずに力を抜く、そういう技が身につくのも年を重ねたからこそ。だから今、ラクじゃない?
井村 いい具合に力が抜けて楽しいですね。
ミエ それにしても、57歳でひとり中国に行くってスゴいわよね。
井村 当時はよく叩かれましたけれど、自分では柳のように生きてきたつもりなんです。流れに身を任せながらも自分の意志は折らずに、その中で自分ならではのことをしようと思ってきました。
ミエ 言葉の壁もあったでしょ?
井村 最初は中国語が全然わからなかった。でも、中国語ができないことはハンディとも何とも思わなかったんです。新しいチャンスが来たから面白いなって、好奇心だけで飛び込みました。
ミエ しかも行った先で全部、結果を出しているのがスゴい!
井村 私は先に結果を決めてから逆算して動くんです。高望みであっても、選手の目標が「優勝したい」なら「優勝する」と決めて、それが叶う指導をしてきました。

画面トップへ移動