デビュー25周年【山内惠介さん】「君、歌手向いてないよ」と言われた過去。それでも変わらぬ歌への想いとは?
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ゆうゆう編集部
辛い過去を捨てずに心に刻んできたからこそここまで頑張ってこられました
大きな転機となったのは、現在の事務所に移籍したことだった。
「今の会長に、『今までの6年間は捨てて、新人のつもりでやったほうがいいですか?』って聞いたんです。そしたら『それは違う。その6年が惠介の礎になっているんだから大切にしなさい』と言われて。その言葉はよく覚えています。辛い過去を捨ててしまうのではなく、しっかり心に刻んで、反骨精神を持ちながら頑張ってきたから、ここまでやってこられたんだと思います」
25周年に届いた天国からのギフト
苦しかった時代にお世話になった作詞家の巨匠、星野哲郎先生(2010年死去)との思い出も語ってくれた。
「デビュー曲『霧情』をはじめ、初期の3作品を書いていただいたんです。25年には先生の生誕100年記念として刊行された作品集に『霧情』を掲載していただけることになって。それまでの作品集には載っていなかったので、『ああ、25年頑張って生きてきたことが、こういう結果に繋がるんだな』と感動しました。まるで、天国の星野先生から『山内君、おめでとう』って言ってもらえたようで、本当に先生からのギフトだと感じました」
もし、25年前の自分に声をかけるとしたら? ––––そう問いかけると、少し遠くを見つめて、まるであの頃の自分に声をかけるように言葉を探した。
「もっとまわりの人を信じるといいよ、って言ってあげたいですね。あの頃の僕は仕事が思うようにいかず、誰を信じていいのかわからなくなってしまっていたんですよね。結局それは、自分のことも信じられていなかったということなんだと思います。歌が好きだという自分の気持ちをもっと信じられていたら、まわりの人のことも自然と信じることができたんじゃないかなって……」
