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人気絶頂期に歌手活動を休止して世界一周旅行に【庄野真代さんのターニングポイント#1】人生を変えたタイでの出来事とは?

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恩田貴子

「飛んでイスタンブール」「モンテカルロで乾杯」などのヒット曲で知られる歌手の庄野真代さん。70代の現在も、仕事やボランティアなど、精力的に活動を続けています。そんな庄野さんの人生のターニングポイントとは? 3回にわたってお届けします。

プロフィール
庄野真代さん 歌手

しょうの・まよ●1954年大阪府生まれ。
76年に歌手としてデビューし、78年には「飛んでイスタンブール」「モンテカルロで乾杯」などのヒット作で広く知られる存在となる。
2000年に音楽活動のかたわら法政大学人間環境学部に入学。
英国留学を経て、06年に早稲田大学大学院アジア太平洋研究科を修了。
同年にNPO法人「国境なき楽団」(現・市民活動団体「国境なき楽団PLUS」)を設立し、地域での文化支援や社会活動にも注力している。
現在は「こども食堂 しもきたキッチン」を主宰し、子どもや地域に寄り添う場づくりにも取り組んでいる。

「おもしろそう!」とフットワーク軽く世界一周の旅へ

28カ国、132都市。これは、歌手の庄野真代さんが1980年から約2年かけて訪れた都市の数だ。1980年といえば、「飛んでイスタンブール」「モンテカルロで乾杯」と、連続してヒットを飛ばし、多忙を極めていた時期。「なぜそんな時期に?」とたずねると、あっけらかんとした口調で、「旅人をやってみたかったんです」という答えが返ってきた。

「『2年間も仕事を休むなんて、すごい勇気だね』とよく言われるんですが、私からすると、それほど勇気のいる決断ではなかったんですよね。友達から『30万円で世界一周できるクーポンがあるよ』と聞いて、『おもしろそう! じゃあ旅人をやってみよう』と思いついたから実行した。ただそれだけのことなんです。お膳立てはGOを決めた後、というのが私の性分。そのときに決まっていた仕事を1年間ですべてやり遂げるなど、旅に出られる環境を整えてから、バックパックを背負って出発しました」

しかし、世界一周の旅の最初の訪問国・タイでのある出来事が、庄野さんの旅の目的を、そしてその後の人生を大きく変えることになる。

「バンコクからバスで数時間かけて行ったビーチで、バスの運転手さんとごはんを食べていたときのことです。彼が『今、タイでは日本へ輸出するえびの養殖場を作るために、マングローブの森が切り倒されている』と話してくれたんです。森がなくなれば、島の景観も悪くなるし、風も防げなくなる。そのせいで漁師や農家の人たちが困っているんだと。話し終えたあと、彼に聞かれました。『日本から来たあなたは、このことをどう思いますか?』って」

予期せぬ問いかけに、庄野さんは言葉を失った。

「何も答えられませんでした。世界を旅しようとしているのに、私は世界で起きている現実、特に日本という国が他国に与えている影響について、あまりにも無知だった。そのことに愕然としましたね。私は旅をすることが目的だったけれども、地球の素顔をちゃんと見て歩く旅にしなければいけない。そこで生きている人々の現実を見て、何を感じるか、ということを目的にしなければいけないと思いました」

それからの旅は、現地の人の暮らしに触れ、その喜びや悲しみを肌で感じる日々となった。貧しいながらも懸命に生きる人々のエネルギー。助け合い、笑い合う家族の姿。人と人とのつながり––––。そこで見た光景は、庄野さんの心に深く刻まれていった。

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庄野真代

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