人気絶頂期に歌手活動を休止して世界一周旅行に【庄野真代さんのターニングポイント#1】人生を変えたタイでの出来事とは?
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恩田貴子
母の記憶と、私が手にした「道具」
旅を通じて世界の現実を知り、「自分に何ができるか」を問い続けてきた庄野さん。その答えの一つである「音楽を通じた社会貢献」にたどり着いた背景には、あるほろ苦い記憶があった。
「私は45歳で法政大学に入学したのですが、ボランティア論の授業で『自分たちでプロジェクトを作り、参加する』という課題がありました。そのときに私が企画したのが、『コンサートに行けない人たちに音楽を届けるボランティア』。きっかけは、母をホスピスで看取った際の経験でした。母が入院していた施設の看護師さんから、『ここにいる人たちに音楽を聴かせてあげたいのだけど、何か方法はありませんか』と相談されて。でも当時の私は、母の看病に必死で心の余裕がなくて……。結局、何もできないまま母を見送ることになってしまいました」
母に音楽を届けてあげられなかったという心残り。それが、大学の授業で「自分たちでプロジェクトを作る」という課題が出たときに、ふと蘇ってきたのだという。
「料理や掃除、人の話を丁寧に聞くことなど、人によって“上手に使える道具”は違いますよね。私にとっての道具はやっぱり歌、つまり“音楽”というツールでした。ボランティアとしてコンサートを届ける活動を始めてみると、『それ、いいね』と賛同してくれる方が次々に現れたんです。同じ思いをもつ人たちが集まる大きな器を作れば、もっと広く届けられるようになるんじゃないか……。そう考えて立ち上げたのが、音楽を通じた社会貢献活動を行うNPO法人『国境なき楽団』(現・市民活動団体『国境なき楽団PLUS』)でした」
計画のない人生こそ、おもしろい
旅、大学生活、そして社会貢献活動。計画していたわけではないが、そのときどきの出会いに導かれて道を選んできた。
「私、長期的な計画は立てないタイプなんです。『ここでこれに出会った、じゃあこっちに行ってみよう』『あそこに何かあるぞ、じゃあそっちに行ってみよう』。私の人生はずっとそんな感じ(笑)。実はこれからまた、長い旅に出ようと計画しているんです。旅先では、みんなで合唱をするクラスを作ろうかなと思っているんですよ。私のボイトレにもなるし、一石二鳥かなって(笑)。これからも自分の“道具”を携えて、偶然の出会いを楽しみながら歩いていきたいですね」
