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【べらぼう】蔦重(横浜流星)はどんな最期を迎える? 耕書堂のその後は?

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鷹橋 忍

初代を超えられず

三代目・蔦屋重三郎は天保8年(1838)に、独占していた『吉原細見』の株を他の本屋に譲り、同年に死去しました。

四代目・蔦屋重三郎は、三亭春馬(二代目)のペンネームをもち、文筆業でその才を発揮します。ですが、事業は富本節の稽古本を手放し、地本問屋の株を他人に譲るなど、縮小していきました。四代目・蔦屋重三郎は、幕末の文久元年(1861)に没します。

太田記念美術館学芸部編『蔦屋重三郎と天明・寛政の浮世絵師たち』によれば、八丁堀の石問屋・松屋芳兵衛の二男が蔦屋の養子に迎えられ、五代目・蔦屋重三郎となりました。

耕書堂は文久元年に廃業しますが(田中優子『蔦屋重三郎 江戸を編集した男』)、明治時代の初めまで、小売りのみの営業を行なっていたといいます(『蔦屋重三郎と天明・寛政の浮世絵師たち』)。

店は文化9年(1812)まで日本橋の通油町にありましたが、翌文化10年(1813)に横山町一丁目に移転。その後も小伝馬町二丁目、浅草並木町雷門内、浅草寺地中梅園院地借市右衛門店と、移転を繰り返しました。

このように蔦屋重三郎は五代目まで続きますが、いずれも初代のような事績を挙げることはできませんでした。やはり初代・蔦屋重三郎が、べらぼうに規格外だったのでしょう。

【べらぼう】蔦重(横浜流星)はどんな最期を迎える? 耕書堂のその後は?(画像5)

大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」第47回より ©NHK

蔦重が見出した未来のスターたち

最後に、初代・蔦屋重三郎が見出し、彼の没後に一世を風靡したスターたちの代表作をご紹介したいと思います。

井上芳雄さんが演じる十返舎一九は、享和2年(1802)に村田屋治郎兵衛から、滑稽本『東海道中膝栗毛』の初編を出版しました(初編の書名は『浮世道中膝栗毛』)。

曲亭馬琴は、文化11年(1814)に『南総里見八犬伝』の刊行を開始しています。山青堂、涌泉堂、文溪堂と版元を三度代えながら、28年後に完成させました。

くっきー!さんが演じる葛飾北斎は、天保2年(1831)頃に栄寿堂西村屋与八から大判錦絵「冨嶽三十六景」を発表しています。

このように、蔦重が目をかけた彼らの出世作が、蔦屋から世に出ることはありませんでした。願わくは自身の手で、彼らを成功に導きたかったとは思いますが、ドラマの蔦重ならきっと「べらぼうめ!」と、彼らの成功を天国から祝福するに違いありません。

【べらぼう】蔦重(横浜流星)はどんな最期を迎える? 耕書堂のその後は?(画像6)

大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」第46回より ©NHK

ドラマも最終回を迎えますので、この連載も今回で最後となります。一年間、お読みくださり、ありがとうござました。

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