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【豊臣兄弟!】豊臣兄弟の正妻・慶(吉岡里帆)、寧々(浜辺美波)はどんな人物なのか?

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鷹橋 忍

秀長の別妻・摂取院光秀

秀長の別妻とされるのが、摂取院光秀(せっしゅいんこうしゅう/法名)です。「光秀尼(こうしゅうに)」、「お藤さん」などとも称されますが、実名は判明していません。没年から逆算して、天文21年(1552)の生まれとされます。

秀長の死後に出家し、法名「摂取院光秀」を称して、叔母・心慶尼が院主を務める弘文院(興福寺の前身)に入寺。元和6年(1620)正月に心慶尼が亡くなった後は院主となり、元和8年(1622)2月8日に71歳で死去しています。

なお、摂取院光秀が産んだ秀長の長女は、秀長が没する直前に、秀長の養子・羽柴秀保と結婚しています。

秀吉の正妻・寧々

寧々は天文18年(1549)に生まれました。出生地は清須朝日村(愛知県清須市)とされます。秀吉の生年には諸説ありますが、天文6年(1537)説をとると、寧々は秀吉より12歳年下となります。

寧々の実父は杉原家利(いえとし)の養子となった杉原助左衛門尉定利入道道松(にゅうどうどうしょう)で、実母は杉原家利の次女(長女の説あり)・朝日殿です(福田千鶴『人物叢書 高台院』)。寧々の実父は、秀吉の母方の叔母が嫁いだ杉原家次(いえつぐ)の妹婿にあたり、寧々と秀吉は親類であったといいます(柴裕之『秀吉と秀長「豊臣兄弟」の天下一統』)。

【豊臣兄弟!】豊臣兄弟の正妻・慶(吉岡里帆)、寧々(浜辺美波)はどんな人物なのか?(画像6)

寧々/大河ドラマ「豊臣兄弟!」第6回より ©️NHK

浅野家の養女に

秀吉が寧々と結婚したのは信長に仕えるようになってからですが、その時期に関しては、永禄4年(1561)説と永禄8年(1565)説に分かれます(黒田基樹『羽柴秀吉とその一族 秀吉の出自から秀長の家族まで』)。

永禄4年なら寧々は13歳、秀吉は25歳、永禄8年なら寧々は17歳、秀吉は29歳での結婚となりますが、いずれにせよ結婚に際して、寧々は宮川一朗太さんが演じる浅野長勝(ながかつ)の後妻に入った伯母・七曲(ななまがり/杉原家利の長女)の縁で、浅野夫妻の養女に迎えられています(福田千鶴『豊臣家の女たち』)。

【豊臣兄弟!】豊臣兄弟の正妻・慶(吉岡里帆)、寧々(浜辺美波)はどんな人物なのか?(画像7)

豊臣秀吉(池松壮亮)、寧々/大河ドラマ「豊臣兄弟!」第7回より ©️NHK

明智方に攻められる

天正3年(1575)、秀吉は近江長浜城(滋賀県長浜市)の城主となっていますが、この頃、寧々も長浜に移り住んだとみられています。

信長から中国地方攻略の司令官に抜擢された秀吉は、天正8年(1580)に播磨姫路城(兵庫県姫路市)を居城としますが、寧々は姫路城には移らず、長浜に残ったようです(呉座勇一『真説 豊臣兄弟とその一族』)。そのため、天正10年(1582)6月2日に本能寺の変が勃発すると、長浜城は明智方に攻められ、寧々は美濃国揖斐郡広瀬北村(岐阜県揖斐郡揖斐川町)に逃れています(福田千鶴『人物叢書 高台院』)。

豊臣政権で重要な役割を担う

天正13年(1585)7月11日、秀吉が関白に任じられると、寧々は摂政・関白の妻に与えられる称号である「北政所(きたのまんどころ)」と呼ばれるようになります(ここでは寧々で統一)。

さらに秀吉は、同年9月9日に「豊臣」改姓を許可され、天正18年(1590)には天下一統を実現させました。寧々は北政所として、外交や財産管理など、豊臣政権において重要な役割を担いました。

慶長3年(1598)8月18日に秀吉が没した後は、京都に移り住みました。慶長8年(1603)11月には出家しますが、その後も豊臣氏(羽柴家)の存続に力を尽くしています。しかし、慶長20年(1615)5月の大坂夏の陣により、豊臣氏(羽柴家)は滅亡し、寧々は寛永元年(1624)9月6日に76歳でこの世を去りました。

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