山村美智さんに聞く、伴侶を失ってからの生き方。「今の私だから楽しめる“何か”を探そう。ある日、突然、そう思えたんです」
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ゆうゆう編集部
いつか笑い話になるはずの闘病生活だったのに
夫が食道がんと診断されたのは、2019年7月のこと。手術を受けても回復には至らず、13回もの入退院を繰り返すことに。20年の10月からは山村さんも病室に通い詰め、つきっきりで夫を支えた。
「コロナ禍だったので、自宅と病院の往復以外は誰とも接触しないという条件のもと、付き添いを許可されました。朝5時に起きて自分のお弁当を3食分作り、愛犬を預けて病院へ。夜7時まで夫のそばで過ごして直帰する毎日でした。体力的にはきつかったですね。でも夫は絶対に治る、この闘病生活のことも、いつか笑い話になる——そう信じていたので、前向きでいられました」
その願いは叶わず、最後の入院から約4カ月後の12月、夫は息を引き取った。
「訃報を知って、フジテレビ時代の同僚や後輩たちが駆けつけてくれました。葬儀の手配や段取り、受け付けまですべて取り仕切ってくれて。本当にありがたかったです。どんなに感謝しても、しきれないくらい」
その後ひとりになって、ある思いが芽生えたという。
——私はひとりっ子だし、子どももいない。この先、高齢の母を見送って、この子たち(愛犬のカレンとセリーナ)も旅立ったら、もう役目はおしまい。そのときは死んでしまおう。
昨年の春、認知症を患い施設に入所していた母・和子さんが97歳で他界。それでも、山村さんの思いは揺るがなかった。
日常のふとした瞬間に悲しみと孤独がやってくる
夫を見送った翌年の3月、映画の仕事に臨んだ山村さんは、撮影現場の空気に触れてスイッチが入り、演技に集中できたという。でも——。
「休憩時間の雑談中に『ノンアルビールを箱買いして、毎晩飲んでいます』と話したら、監督に『へえ、ひとりで?』と聞かれたんです。彼は、私がずっと独身だと思っていたようで、もちろん悪気があったわけではなくて。でもそのひとことで、ああそうだった、私はひとりなんだと、いきなり現実に引き戻されて、『はい、ひとりで』と答えながら、涙がばーっと出てきて止まらない……。顔を見られないように隠すのが大変でした」
ほどなく、「ご夫婦のことを本にしてみませんか」との依頼があり、引き受けることにした。
「夫が生きた証しを形に残したい、彼の魅力を伝えたいという思いが強くありましたから。執筆に当たっては、うそはつかない、誇張はしないなど、いくつかのルールを自分に課しました。それと、読んだ後で暗い気持ちになるような闘病記にはしたくないと思ったんですね。読み物としても面白いと思っていただけるようにしたいなあと」
過去の出来事や体験を文章にすることで、気持ちに整理がつくともいわれるが、山村さんもそうだったのだろうか。
「いいえ、私は全然ダメ。記憶を呼び起こして書くという作業が、こんなに苦しいとは思いませんでした。書きながら大泣きすることも。どうして引き受けちゃったんだろう、もう書けない、こんなのやめたいって何度思ったことか」
そんな苦心の末、ようやく書き上げた一冊。あらためて読み返してみると、気づかされることもあったという。
「13回目に入院してからの夫は、日に日に病状が悪化して、確実に『死』に向かっていたことがはっきりわかります。読んだ人は、皆そう思うはず。私だけが現実から目をそらして、絶対治る、奇跡は起こるとかたくなに信じていたんだなあって。そのためだったらどんなものにでもすがりたくて、民間療法を試したり、ご祈祷してみたり……。亡くなるのが必然だなんて、あのときは絶対認めたくなかったんですよね」