光石研さんが60代の今、思うこと。「若い人にこびることなく、若づくりもせず。我らは我らで楽しめばいい」
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ゆうゆう編集部
親の前で芝居するなんて恥ずかしさの極み
撮影は、物語の舞台である福岡県北九州市でのオールロケ。北九州は光石さんの故郷でもある。
「勝手知ったる地元だし、言葉もネイティブだし、そういう意味では作品の世界に入りやすかったです。その反面、ちょっと照れくさいところも。仕事とはいえ、故郷で自分以外の誰かに扮して演じるというのは、知り合いが見ていないとしても、そこの土地に見られているような気恥ずかしさがありました。『土地は覚えてるよ、お前のこと』って言われているような気がして」
しかも本作には、光石さんの父・禎弘さんも出演している!
「自分がよく知る街で芝居するのと同じで、自分の親の前で芝居するのも、そりゃもう恥ずかしさの極みでしたよ(笑)」
映画では、定年退職を前にした周平が、記憶が薄れていく症状に見舞われてしまう。これまでのようには生きられない……そう悟った周平は、これまでの人生を見つめ直す。
「僕も年齢が近いし、読者の皆さんもそうだと思うのですが、これまでを振り返ったり、これから先を考えたりする年代ですよね。もう後戻りはできず、でも先は霧深い……。そういう世代の人にこそ、ぜひこの映画を観ていただきたい。人生について考えさせられて、見終わったあとも余韻が残る作品だと思います」
周平は人生の半ばを過ぎて大きなターニングポイントを迎えたわけだが、光石さん自身の転換点は16歳のときだったと振り返る。
「たまたま友達に誘われてオーディションを受けて、合格して。それがデビュー作の『博多っ子純情』です。あの1回がなければ、僕は俳優になっていなかったと思います」
前日にケンカして眉のあたりを切り、傷を縫って絆創膏を貼った姿でオーディションへ。これが審査員の目に留まり、ケンカの真似や酔っ払いの真似をさせられた。
「これがウケたんですよ。今まで親や先生から叱られ続けてきたことを、そこにいた大人たちは喜んでくれて、ほめてくれた。僕にとっては目からウロコだったし、初めての体験でした。さらに撮影現場では大の大人たちが学園祭の延長みたいなことを一生懸命やっている。その姿を見て、『映画作りって面白いんだ』『素敵な世界だな』と思ったのが、この世界に入るきっかけでした」