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ザ・タイガースのドラマーから慶應合格、教壇へ転身した理由とその秘話【79歳・瞳みのるさんのターニングポイント#3】

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藤岡眞澄

あの時代を知る人なら、きっと胸が熱くなる。グループサウンズの黄金期を駆け抜けた「ザ・タイガース」。その中で、仲間をまとめ、前へ前へと歩いてきたのが、瞳みのるさんでした。解散後、彼が選んだのは音楽とは異なる道——。いくつもの決断が、瞳さんの人生を形づくっています。第3回は、復学、学生、教師生活について伺います。

▼前回はこちら▼

>>【ザ・タイガース】旋風のその先に。別れの裏にあった、知られざる物語[79歳・瞳みのるさんのターニングポイント#2]

僕の剃髪姿は一度も盗撮されていません(笑)

——1971年1月25日に「ザ・タイガース」が解散して芸能界を引退。京都に戻って最初にしたことは何でしたか?

翌年の大学受験を目指して、真っ先に床屋に行って剃髪しました。勉強に集中するために。

だから、京都まで追っかけてきたカメラマンにも気づかれなくて、僕の剃髪姿は一度も盗撮されていません(笑)。

——4月からは府立山城高校定時制の4年生に復学。翌1972年4月には慶應義塾大学文学部中国文学科に進学されます。

中国文学を選んだのは、高校時代の授業で中国語がただ1つ、好きな科目だったから。柴田(錬三郎)先生の影響も大きかったと思います。

——それにしても、1年間の受験勉強で慶應に合格するには相当な努力が必要だったのでは?

「タイガースでやっていた仕事量を勉強に振り向ければ同じことだ」と、なぜか沢田が言っていたそうです。

確かに、「ザ・タイガース」で思うように睡眠時間をとれない時期を過ごしているから、勉強だって同じように考えてやればいい。だって、勉強をするために芸能界引退を1年間先延ばしにしたんです。働かなくてもいいようにお金も貯めたんだから、1日たりとも無駄にはできないと思っていました。

もし1年で合格できなくて、2年やっていたらもう切れていたと思うので、ギリギリです。

——25歳から始まった「人見豊(ひとみみのる/本名)」としての大学生活はいかがでしたか?

そのころは髪の毛も伸びていたので、気づかれたりはしましたが、特段の関心を示さないのがさすが慶應だな、と思いました。有名人の子どももたくさんいますから。

たとえば、阿川佐和子(さん)は僕の7歳下だけれど、文学部の同期生。お父さんの阿川弘之さん(作家)は、柴田先生のドボン(トランプゲーム)の博打仲間で、僕も顔見知りだったりするんです。

2011年に芸能活動を再開したときには、『週刊文春』で彼女が連載していた対談にも呼んでもらいました。

——慶應では大学院にも進まれますね。

大学の教員になりたいと思ったんです。なぜかと言ったら、ラクしたいから。週に3~4コマの授業を持てばそれで終わり、と思って。

——人生をマーケティングして設計図を描いている感じですね。

でも、いろいろあって大学の教員にはなれず、1977年から慶應義塾高校の漢文の教員になりました。

ただし、なるべく担任は持たないし、クラブの顧問も引き受けない。学校の行事にはほとんど参加していませんからね。

——若手教師にそんなこと、なかなか許されないと思いますが……。

あの頃は、結婚して子育てをしていましたから、そんな暇はない(笑)。僕がバギーを押して公園なんかに行くと、他のお母さんから「あの人、何なの?」という目で見られる時代でした。

でも、妻も仕事を持っていたので、公園の帰り道に食材の買い出しをして、ご飯を作り、子どもを風呂に入れ、ってやっていました。

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