【猫の実話】人見知りだった猫ほど、一度心を開くと、とことん信用し愛してくれる
チャコが実家に加わって11〜12年が過ぎたころ。
父の調子ががくんと落ちました。持病に加え、足や腰が痛いと言い出して、ほとんど居間のソファから動かなくなりました。ごくたまに庭に出る程度です。
そんなふうに数年が過ぎたある秋、母から電話がありました。父が脳梗塞で入院したのです。
最初は意識もはっきりしていましたが、入院中に今度は脳出血を起こして危険な状態になり、開頭手術をすることになりました。
手術当日、駆けつけた私と弟は、母といっしょに深夜3時まで病院に詰めていました。
無事に手術が終わり、疲労困憊で家に帰ってくると、真っ暗な中からチャコが静かに姿を見せました。いつもだったらうるさいくらい存在を主張するのに......。
不思議だったことをおぼろげながら覚えています。
父の入院中、母は欠かさず病院に顔を出していました。意識のない父に「チャコは元気 だよ」と声をかけると、少しだけ反応を返すことも。しだいにそれもなくなるのですが。
そんな中でも、好きなときにごはんをねだり、なでろと催促し、一見マイペースに過ごすチャコに「お前はうるさいねぇ」と言いつつも、母はずいぶんとなぐさめられたようです。
1年半の入院を経て、父が亡くなったのは、3月のまだ寒い時期。
物言わぬ父が家に戻ってきたとき、チャコがどうしていたのか覚えていません。父の葬儀、そして新盆が終わるまで、母も私も弟も無我夢中だったのです。
気がつけば、チャコの体はずいぶんと小さくなっていました。
性格はまるくなり、私や夫がなでてもゴロゴロいうようになりました。私と母が外出し、 夫に留守番を頼んだときはチャコがずっとそばにいて、いっしょに夕飯を食べたそうです。
父がいなくなって人恋しさが増したのか、チャコは常に誰かのそばにいたがるようになりました。
そうして1年と少しがたつうちに、チャコの老いはいよいよ顕著になりました。
夏になると、まったく食べない日が続きました。「食べてくれれば何でもいい」と嗜好性の高いおやつも持っていきましたが、食べたり食べなかったり。
母もあちこちのホームセンターでチャコが食べそうな猫缶を探したそうです。けれど食欲は戻らず、2人で「今年の夏は越せないかもしれない」と密かに覚悟を決めました。
しかし、チャコは夏を越し、ほとんど寝たきりの状態ながら秋を迎えました。このころになると粗相も多くなっていました。それでも母がそばにくるとアオンと鳴きました。
10月も半ばを過ぎ、寒くなってきたころ。母はチャコに告げました。
「ありがとう、そばにいてくれて。もう大丈夫」
「……お父さんのところにいってもいいよ」
チャコはかすかにうなずいたようだったといいます。
翌日。静かに虹の橋を渡りました。
「もっとがんばって長生きしてねって言ってたら、まだ生きていてくれたかなぁ」
今でも母はときどき、そうつぶやきます。
「いや、きっとお母さんの言葉でチャコは安心したんだよ。今ごろ、お父さんのそばでゴロゴロしているよ」
私の返す言葉も決まっています。だって本当にそう思うのですから。
父の晩年を彩ってくれたチャコ。
老いて動けなくなっても、母のそばにいてくれたチャコ。
娘として、チャコには本当に、本当に感謝しています。
※この記事は『猫がいてくれるから』主婦の友社編(主婦の友社)の内容をWeb掲載のため再編集しています。
※2022年12月4日に配信した記事を再編集しています。
★合わせて読みたい★