91歳の樋口恵子さんが伝えたいこと。「3つのショクを生活に取り入れることが健康長寿の秘訣」
91歳の今も仕事は現役! 「老いのトップランナー」として、自らの老い方・生き方を発信し続けている評論家の樋口恵子さん。年齢を重ねても前向きな心を失わず、今を楽しんで生きる樋口さんに、健康長寿の秘訣を伺いました。
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<お話を伺ったのは>
樋口恵子さん
ひぐち・けいこ●1932年、東京生まれ。東京大学文学部卒業。時事通信社勤務などを経て、評論活動に入る。東京家政大学名誉教授。NPO法人「高齢社会をよくする女性の会」理事長。『老いの玉手箱 痛快! 心地よく生きるヒント100』など著書多数。近著の『老いの地平線 91歳 自信をもってボケてます』が話題に。
高齢期になったら文化系より体育会系が◎
「私は一病息災ならぬ、多病息災」
茶目っけのある笑顔で、そう話す樋口恵子さん。91歳の今なお精力的に活動を続ける姿からは想像できないが、実はこれまでさまざまな病気と闘ってきた。50歳で子宮筋腫の摘出手術、66歳のときには乳がんが発見され手術を受けた。さらに77歳のときに大動脈瘤手術、89歳のときに二度目の乳がん手術……。
「病気だけでなく、ケガもけっこうしています。50代のとき、真っ暗闇の中でしゃべりながら階段を下りていたら、勢いよく落ちてしまいました。すぐに病院へ行ってレントゲンを撮ってもらうと、右膝頭にひびが入っていた。結局、手術はしませんでしたが、70代になってから膝の補助具を作りました。2年前には家の階段から転げ落ちて全身打撲、1年前は玄関先でふわーっと倒れて頬骨を強打。でも私、体は強くないんだけれど骨は強いんです。だから転んでも骨折したことはありません」
骨を強くする秘訣はあるのかと尋ねてみると、「牛乳よ!」と力強い答えが返ってきた。
「子どもの頃、戦前のわが家は貧乏学者の父が支える中流階級でしたけれど、母は兄と私に1合瓶(180㎖)の牛乳を必ず飲ませてくれました。戦後、集団疎開から戻ってくると、私は結核を患い寝たきりに。母は四方駆けずり回って、山羊を飼ってる家から山羊乳を分けてもらって飲ませてくれました。そんなふうに乳製品を飲み続けてきたから、骨が強くなったのではないかと思っています。今も毎朝コップ2杯くらい牛乳を飲んでいますよ」
肉体的にも精神的にもヨタヨタヘロヘロ、そんな高齢期を「ヨタヘロ期」と名づけた樋口さん。自らもヨタヘロ真っ最中だと自覚する。
「耳は遠くなるし、体のあちらこちらが痛むし、ちょっと歩くのだってひと苦労だし。老いは大変なのです。でも、現代は皆それぞれの不自由を抱えて老いていく長生き社会。老いに慣れていかなければなりません。幸いにも補聴器があれば聞こえるし、補助具や杖があれば歩けます。医学の進歩に助けてもらいながら、初めての老いを私なりに楽しんでいきたいと思っています」
70代後半からは月2、3回、パーソナルトレーニングを受けている。
「私は中学から大学まで新聞クラブで活動し、合唱団に所属していたこともある文化系人間。でも年齢を重ねて『ちっとは体も動かさにゃあ』と思い、パーソナルトレーニングを始めました。先生に指導を受けながら、たっぷり1時間ストレッチをします。やり始めてみてつくづく思ったのは、手足というのは命を乗せて運ぶ器だということ。だから年齢を重ねるほど、生活の中に体を鍛える体育会系要素も取り入れたほうがいいと実感しています」