アナウンサー歴50年【那須恵理子さん・73歳】「いちばん怖いのは月曜日です」そのワケと対処法
ニッポン放送のアナウンサーとして数多くのラジオ番組を担当し、約8年前からはフリーのアナウンサーとして活躍。73歳の今も若々しい声で元気を届けてくれる那須恵理子さん。那須さん流のキャリアと年齢の重ね方とは―。
▼こちらもどうぞ▼
>>舞踊歴73年のバレリーナ【森下洋子さん】その食事は1日何度? 体と心を健やかに保つ秘訣も
お話を伺ったのは
那須恵理子さん 73歳・アナウンサー
なす・えりこ●1951年、東京都生まれ。上智大学文学部卒業。
74年、アナウンサーとしてニッポン放送に入社。制作部アナウンサールーム長、編成部副部長を歴任し、2011年4月に定年退職。
その後は嘱託社員として勤務し、16年に嘱託期間を満了。
現在はフリーランスとして活動中。
ずっと働いていたい。だからアナウンサーの道へ
1974年、ニッポン放送に入社し、アナウンサーとしてのキャリアをスタートさせた那須恵理子さん。しかし、当時はまだまだ男性優位の社会。今のようにバリバリ働く女性は皆無に等しかった。
「男性は正社員でしたが、女性は5年契約のオペレーション(技術業務も行う)アナウンサー。6年目以降は1年ずつの契約でした。入社してみると、『女の子は面白おかしく2、3年働いて、嫁に行くのがいちばんいいよ』なんて言われて。結婚するとき上司に報告したら『おめでとう。で、いつまで?』と言われて、『いや、辞めませんけど』と返したこともありました。女性アナウンサーはみんな20代後半で結婚して辞めていく、そんな時代でした」
仕事を辞める気はなかった。30代になり、さらにキャリアを磨いた。
「他にできることもないし、特別な能力もないし。それに私は自分の食いぶちは自分で稼ぐ、できればずっと働いていたいと思ってアナウンサーになったんです。だから毎年契約を更新し、仕事をしてきました」
30代のときにはディレクター業務も経験した。
「アナウンサー1期生の先輩女性がディレクターをやっていらして、私にも『やりなさい』とおっしゃいました。当時は『え、なぜ私が!?』と思いましたが、今考えれば、会社を辞めずに仕事を続けていけるように考えてくださったうえでの判断だったのだと思います。アナウンサー班に所属しながら、山城新伍さんの番組などのディレクターを務めました。自分に向いているかどうかはわからなかったけれど、会社だって商売なのだから、『やれ』と言うからには私にもできることがあるんだろうなと。言われたことは必ずやる、自分にできる限りのことは努力するようにしていました」