【べらぼう】蔦重(横浜流星)の妻・てい(橋本愛)のメガネが個性的! 江戸時代のメガネ事情は?
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鷹橋 忍
横浜流星さんが主人公・蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう/蔦重)を演じる、2025年NHK大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめものがたり)〜」。当時の文化や時代背景、登場人物について、戦国武将や城、水軍などに詳しい作家・鷹橋 忍さんが深掘りし、ドラマを見るのがもっと楽しくなるような記事を隔週でお届けします。今回のテーマは江戸時代のメガネ事情と、浅間山の大噴火です。
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>>【べらぼう】田沼意次(渡辺謙)が進めている蝦夷地を天領とする計画とは?大河ドラマ『べらぼう』第24回「げにつれなきは日本橋」、第25回「灰の雨降る日本橋」が放送されました。この2回では、橋本愛さんが演じる日本橋丸屋の女将・ていがかけている黒いメガネや、浅間山の噴火により日本橋に灰の降り注ぐ様子が視聴者の間で話題となりました。今回はこの二つを取り上げたいと思います。
メガネを伝来させたのはザビエル?
今までメガネをかけた登場人物が出てこなかったので、ていを見て、「江戸時代の日本にメガネは存在したのか」と疑問に感じた方も少なくなかったようです。
結論から言うと、江戸時代の日本に眼鏡は存在しました。
まず、メガネは13世紀にヨーロッパで生まれました。日本への伝来は、イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエル(1506~1552)が、周防、長門、豊前、筑前、安芸、石見、備後七国の守護を務め、西国一の大名と称された大内義隆(1507~1551)に、天文20年(1551)に献上したのがはじまりだと、一般に言われています。
ですが、室町幕府12代将軍・足利義晴(1511~1550)が所持していたとされるメガネが残されており、ザビエル以前から伝来していた可能性もあるようです(白山晰也『眼鏡の社会史』)。
徳川家康(1542~1616)が晩年に所有していたべっ甲製のメガネも、静岡県の久能山(くのうざん)東照宮に保管されています。
当時のメガネは、耳にかける「つる」はまだなく、手で持つか、鼻の上に乗せていたようです。
江戸時代のメガネ
当初は輸入品であったメガネですが、江戸時代初期には三都(京都、大坂、江戸)を中心に国内でも生産されるようになりました。江戸時代後期には、紐付きのメガネが出回ったといいます(飯田泰子『江戸の仕事図鑑』)。
メガネは大変に高価でした。『南総里見八犬伝』の作者として知られる曲亭馬琴(1767~1848)は、若い頃に蔦重の店で働いていましたが、その馬琴の日記には、メガネの代金が一両一分であったことが記されています。この時代、女中の給金が年三両だったというので(坪元治『眼鏡の歴史』)、気軽に購入できる金額ではありません。
ていの亡父も、大事な娘のためにかなり奮発して買い与えたのではないでしょうか。