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【シニアの住まい選び】77歳、作家・久田恵さんの体験談「地方のサ高住から再び東京へ」

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志賀佳織

70歳の年に栃木県那須のサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)に入居した久田恵さん。しかし昨年末、6年ぶりに東京の自宅に再び戻って一人暮らしを始めたと言いますなぜ今この暮らしを選んだのか、久田さんにとっての終の住み処とは何か。話を聞きました。

お話を伺ったのは
久田 恵さん 作家

ひさだ・めぐみ●作家。1947年北海道生まれ。
上智大学文学部社会学科を中退し、さまざまな職業を経て女性誌のライターに。
90年『フィリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。

母の住む老人ホーム近くに父が言い値で買った家

久田恵さんが都内にある一戸建て住宅に越してきたのは、1998年のことだ。きっかけは、前年、そこから徒歩3分の所にある老人ホームに母を入居させたことだった。
 
シングルマザーの久田さんが、一人息子とともに、両親と暮らし始めたのは、38歳のとき。両親が神奈川県藤沢市に居を構えたところで、「家に誰かがいればあなたも安心して仕事ができるでしょう。家に帰っていらっしゃい」と母に誘われて同居を決めたのだった。

ところがそれから1年後にその母が脳血栓で倒れて半身不随となり、車椅子生活になってしまった。以来10年間、父と二人で介護を続けたものの、在宅介護が限界に達した。そこで、都内の介護型施設に母を、同じホームの自立型に父を入居させて、自身は近くのワンルームマンションを借りて暮らすことにしたのだ。

「その頃、私は老人ホームの取材をしていて、そこも取材で通っていたんです。都市型の有料老人ホームで、草分け的な施設でした。月に何度か、介護や家事を終えた夜の8時過ぎに藤沢から2時間半かけて都内まで出向いて翌朝早くに急いで帰る、そんな取材をしていたら、ホームの社長の岩城祐子さんという女性が『お父さんもお母さんも子どももあなたも全部引き受けるから、全員で引っ越してきなさい』と言ってくださったんです」

最初は渋っていた父も見学に行って考えが変わり、入居を決めた。同じ施設内の道路を挟んだ所にある建物に妻はいて、いつでも会いに行くことができて、父自身は自立した生活が送れる。最初はとても順調に進んでいたのだが、翌年になると小さな不満がいろいろと積み重なってきて、「藤沢の家に帰りたい」と言いだすようになった。

「そんなときに、ホームの近くで中古住宅が売りに出ているというチラシが入ったんです。それが今のこの家です。父は一目で気に入っちゃって、買うことを即決しました。藤沢の家をまだそのままにしていたのですが、住民票を移動した後に土地家屋を1年以上放置していると、売るときには多額の税金がかかると聞いて、何とかしないといけないと思っていたこともありました。ここに家があれば、母も、一人暮らしをしている息子も帰ってこられる場所ができる。名古屋に住む兄や姉にも『実家』ができる。同居して父と私で生活費を折半すれば、ホームにかかる費用は母の分だけになる。私もマンションの家賃分が助かる。計算してみたら、私が月10万円、父が月10万円、合わせて20万円の生活費を節約できることがわかったんです」

そうと決めたら父の行動は早かった。藤沢の家を売却し、その資金を充ててこの家を提示された価格で購入した。

「普通、提示された価格から交渉して値切ったりしますよね。それも全くせずに買ったので、当時、近所中で噂になっていたみたいなんですよ(笑)。久田さんちのお父さんは、全く交渉もせずに言い値で買った。変わった人だって(笑)」

【シニアの住まい選び】77歳、作家・久田恵さんの体験談「地方のサ高住から再び東京へ」(画像2)

母が入居する老人ホームから徒歩3分のところで売りに出ていた中古住宅。チラシを見た父が即決して購入した。閑静な住宅街に立つその家に、久田さんは今一人で暮らしている。

【シニアの住まい選び】77歳、作家・久田恵さんの体験談「地方のサ高住から再び東京へ」(画像3)

2階に続く階段には手すりをつけるなど、一人暮らしをするに当たっては室内のところどころにリフォームを行った。

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