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私の毒親体験記

「出来損ない」「遺伝子の異常」!身勝手な母のせいで感情をだせなくなった私【私の毒親体験記】

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ゆうゆうtime編集部

「出来損ない」「遺伝子の異常」と罵る母との日々は、とても息苦しいものでした。今でも、感情を出すことにどこか戸惑ってしまう自分がいます。

聖職者のパパに恥をかかせてはいけません

私が子どもの頃、母(76歳)の口癖は「聖職者のパパに恥をかかせないようにしないといけません」でした。

母は旅館の娘で、高校を卒業してからは、父(82歳)と結婚するまで家業を手伝っていたと聞いています。大学教授だった父を誇りに思い、兄(48歳)と私に「大学教授の子ども」としてふさわしい服装、言葉遣い、行動を強いてきました。

兄も私も中学生まで既製品の洋服ではなく、裁縫が得意だった母が、自分が思い描く洋服を縫い、兄と私に着させていたのです。それだけではなく、小学生の時は1日のタイムスケジュールを母が組み、友達と遊んで良い時間、場所も決められていました。

私は3年生ぐらいまでは母の言いなりでしたが、4年生の時にクラスの友達が着ている可愛いキャラクターのTシャツやフリルのミニスカートが羨ましくて、母に自分も友達が着ている可愛くてお洒落な洋服を着たいと言ったことがあります。すると、突然母の顔つきが変わりました。急にヒステリックに怒り出し、乱暴な口調で私を罵倒し、1週間無視し続けました。ショックでした。

その後も、年頃になるにつれ母の押しつけが嫌で度々反抗するのですが、その度に「出来損ない」「遺伝子の異常」などと口汚く罵られました。

兄は母に気付かれないように塾をさぼって友達と遊んだり、上手く息抜きをしていたようですが、一度塾をさぼったことがバレているのを知らず帰ってきて、夕飯の支度で切っていた野菜を無言でいきなり投げつけられていました。

感情的になると、母と同類の醜い人間と思うように…

いつしか私は、母に罵られながら「感情的になるって醜くて恥ずかしい」と思うようになりした。そして、感情を外に出すことが苦手になったのです。
自分で無意識のうちにバリアを張ってしまうようで、周囲の人達からは「初対面の時はクールで近寄りがたい雰囲気だった」と言われます。

若い時は深く付き合うと自分の感情も膨れあがると思い込み、交友関係は浅く広くし、楽しい時間だけを共有していました。
恋愛関係においても同じで、楽しい時期が過ぎ、深い関係になる手前で別れることにしていました。
ただ、現在の夫(44歳)は境遇や価値観が似ていたのか、不思議と今まで出会った人達とは違う感情が芽生え、初めて素の自分を出せる人でした。

以前は自分が感情的になる前に心を閉ざし自分の感情を押し殺していましたが、夫のおかげで今は感情的になったらひと呼吸し、冷静になってから自分の思いを人に伝えられえるようになってきています。

でも、感情がふくれあがるとまるで母と自分が重なるようで……。子供時代の影響は消えることがないんだなと痛感しています。

(40代・会社員)

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