私らしく生きる 50代からの大人世代へ

記事ランキング マンガ 連載・特集

人生後半戦の『ターニングポイント』を前向きに!

「毒親とも共存していく」元ギャンブラーの妻が過去を乗り越えたきっかけを告白【田中紀子さんのターニングポイント#3】

公開日

更新日

ゆうゆうtime編集部

タレントや超名人の「ギャンブル依存症」がニュースになる昨今。公益社団法人 「ギャンブル依存症問題を考える会」の代表を務め、講演活動やSNSでの発信など多忙な日々を送られている田中紀子さんにお話しをうかがいました。1回目は田中さんの夫が抱えていた「ギャンブル依存症」の回復への道筋、そして2回目は自身も発症した壮絶な「買い物依存症」についてうかがいました。最終回の今回は親との確執、そして波乱の人生経験を経て得た田中さんの乗り越え力、その源泉を深堀りします。

▼前回はこちら▼

≫≫「買い物袋も開けず転売する日々…」夫の回復どころか、自身が買い物依存症に。異常な日常、その実態は?

1964年9月東京都中野区生まれ。1986年3月に昭和女子大学短期大学部国文科を卒業し、その後結婚出産。2004年2月にギャンブル依存症の自助グループに繋がり、2014年2月公益社団法人 「ギャンブル依存症問題を考える会」の代表に就任。著書に『三代目ギャン妻の物語 - 祖父・父・夫がギャンブル依存症!』(刊行/高文研)

安定した収入を捨て、50歳で独立を決意

30代は夫のギャンブル依存症に悩み、そして自身も買い物依存症のど真ん中にいました。やっと自助グループにつながれたのが40歳の時。そこからの10年間は、徐々に回復への道筋がついて、50歳を迎える頃には、この活動が喜びに変わっていたわけです。
依存症の真っただ中にいた当時(40代まで)は、一方でいいお給料がもらえる会社勤めをしていたのですが、本業をもったままでは、この依存症からの回復の活動が広がらないなと思っていました。物理的にも割ける時間が足りない。それで50歳の時に独立を決意しました。

それまで持っていたキャリアも安定した稼ぎもすべて捨てて、独立なんて正直めちゃくちゃ怖かったですね。確か借金もまだあったし、住宅ローンも残っていたんじゃないかな。
でも、何よりも自分を信じる気持ちのほうが強かったんでしょうね。あと仲間たちが「りこさんなら絶対できるし、ついていく!」と言ってくれたことも背中を後押ししてくれました。

人生はコネクティング ザ ドッツ!

さらに、「この啓発活動をやっていくことの方が私が社会に求められていることだ」という予感めいたものがありました。まさに、スティーブジョブスの言った「コネクティング ザ ドッツ」(振り返ってみてはじめて点と点がつながるのが人生である)です。すごくリスキーに思えることでも、その流れやめぐり合わせを信じて乗ってみるというのが、実はいちばん安全だということもあるんですよね。

収入や地位、世間体で考えると一歩踏み出せないけど、それをいったん置いておいて、世の中の流れ、周囲の人の意見を聞いてみてください。もうこれはうまくいかないなということがわかると思うんですね。その時は、これまでの固定観念を手放す勇気が必要。私も独立して社団法人を作りましたが、最初は本当に試行錯誤で、お金の工面も大変でした。でも10年やってきて、運営できるようになったし、なにより発信力も大きくなってきました。こうして取材してくださるメディアも増えてきましたし。

お金は目をくらませますが、実際無いとそれはそれで苦労するもの。特に依存症の過去や現状問題を抱えてる人もお金で苦労をすることが多いです。なので、うちの団体では、まず安定した生活を確保するためにも50代半ばの人でもガンガン再就職させています。ギャンブラーの妻たちの中で転職エージェントの方が何人かいるんですね。で、元依存症の人でもここだったら働けますよ、という情報共有をして紹介してもらっています。とにかく、一歩踏み出せばいろんな世界やチャンスがあるはずなんです。

私はいつも「稼ぎに勝る節約なし」と思っています。相手によってどうなってしまうかわからないものより、自分が生み出せるものを増やしていったほうが安心感が増すはずです。

この記事の執筆者

PICK UP 編集部ピックアップ