記事ランキング マンガ 連載・特集

【べらぼう】大奥の高岡(冨永愛)、大崎(映美くらら)は何者? 幕政との関わりは?

公開日

更新日

鷹橋 忍

大崎が反田沼派に転じた理由は?

大崎は、一橋治済の側室・お富が徳川家斉を懐妊したときに、一橋家に仕えていました。大崎は家斉づきの御年寄となり、天明7年(1787)に家斉が十一代将軍に就任すると、なみなみならぬ影響力を持つようになります。ただし、御年寄の序列では高岳、滝川に及びませんでした(竹内誠 深井雅海 松尾美恵子篇『徳川「大奥」辞典』)。

もともと大崎は田沼派寄りでしたが、徳川家斉の実父・一橋治済が反田沼派の御三家と協力するようになると、反田沼派に転じたといいます。大崎は、松平定信擁立のための御三家の会合にも同席しています。田沼派の幕閣と御三家との折衝にも尽力したといいます。

天明7年(1787)6月、松平定信がついに老中首座に就任しました。大崎は大奧に遊びにきた幼い定信を抱いたこともありましたが、定信の就任早々、定信と口論となり、解任されることになります(鈴木由起子『大奥の奥』)。

【べらぼう】大奥の高岡(冨永愛)、大崎(映美くらら)は何者? 幕政との関わりは?(画像3)

大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」第33回より ©NHK

大崎って苗字?

最後に、大奥女中の呼称について、ご紹介したいと思います。「大崎」、「滝川」という名に疑問を感じた方もいるのではないでしょうか。まず、大奥女中の名前は本名ではありません。彼女たちは大奥に入ると、女中名がつけられます。

大奧女中の名前や呼称は、身分や序列と結びついていました。大奥女中には、二十を超える職階があり、将軍や御台所に目通りが許される「御目見(おめみえ)以上」と、目通りが叶わない「御目見以下」に分かれていました。

御目見以上を身分の高い順から挙げると、上臈御年寄(じょうろうおとしより)、小上臈(こじょうろう)、御年寄(老女)、御客応答(おきゃくあしらい)、中年寄(ちゅうどしより)、中﨟(ちゅうろう)、御小姓(おこしょう)、御錠口(おじょうぐち)、表使(おもてづかい)、御右筆(ごゆうひつ)、御次(おつぎ)、切手書(きってがき)、呉服之間(ごふくのま)、御坊主(おぼうず)、御広座敷(おひろざしき)。

御目見以下は、御三之間(おさんのま)、御仲居(おなかい)、御火之番(おひのばん)、御茶之間(おちゃのま)、御使番(おつかいばん)、御半下(おはした/御末[おすえ])となります(将軍によって多少の変動あり)。

この中で、御年寄や中年寄は「滝川」のように二文字で、村、川、浦、島などが下につく苗字のような名を、中﨟や御右筆などは「お豊」のように、「お」がつけられる名を称しました。

御仲居より下の女中は「桐壺」、「明石」など、『源氏物語』にちなんだ源氏名がつけられましたが、源氏名だけではとても数が足りないので、『源氏物語』とは無関係の名前の下級女中も存在しました。そして、役替えがあると、基本的には改名したとされます。

【べらぼう】大奥の高岡(冨永愛)、大崎(映美くらら)は何者? 幕政との関わりは?(画像4)

大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」第34回より ©NHK

▼あわせて読みたい▼

>>【べらぼう】十代将軍・徳川家治(眞島秀和)は毒殺されたのか? >>【べらぼう】田沼意次は松平武元や徳川家基を殺したのか? 平賀源内との関係は? >>【べらぼう】江戸のヒットメーカー・山東京伝(古川雄大)と恋川春町(岡山天音)のユニークな生涯とは?
画面トップへ移動