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「愛犬の最期に会えなかった」後悔を乗り越え、前を向くための禅僧・枡野俊明さんの教えと供養方法

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ゆうゆう編集部

今回の相談は、長年ともに暮らしてきた愛犬の最期を看取ることができなかったというものです。ペットに限らず、大切な人の最期に立ち会えないことは、誰にでも起こり得ます。そんなとき、心をどのように保てばよいのか──禅僧・枡野俊明さんに伺いました。

門を開けば

「開門福寿多(門を開けば福寿多し)」
自ら門を開くことで福を招き入れようという禅の言葉です。

今回は長年ともに暮らした愛犬の死を乗り越え、前向きに生きていくための心のもち方を枡野さんが語ります。

<今月のテーマ>
「愛犬を看取ることができませんでした」

14年一緒に暮らした愛犬の最期を、一緒にいて看取ってあげられなかったことが、いつまでも心に引っかかっています。亡くなった当日、仕事に行ってしまい、病院に連れていくのが遅くなったことなど、もっとこうしてあげればよかったと思うことがあり、後悔しています。特に命日が来ると、そういう気持ちになってしまいます。

亡くなった人への供養は忘れないでいること

愛犬の最期を看取れなかったことを後悔し、今でもつらい思いをされているのですね。ペットとはいえ、14年間もともに暮らした家族です。「仕事など休めばよかった。ずっとそばにいてあげればよかった」と悔いが残るお気持ちはよくわかります。

これはペットに限ったことではないと思います。今は病院で亡くなる人が多いですから、病院からの連絡を受けて、急いで駆けつけても間に合わないケースは少なくありません。「親の最期を看取ってあげることができなかった」と悔いている声を何度も聞いたことがあります。親が地方に住んでいるとなおさらです。家族は後ろ髪を引かれますし、亡くなったご本人も最期に家族にひと目だけでも会いたかったことでしょう。

しかし、どれほど悔いても時を巻き戻すことはできません。愛犬は旅立ってしまいました。残された者にできることは、忘れないでいてあげることだけです。常に写真を身近において語りかける、命日にはお花や好物を手向ける、そうやって何かきっかけがあるごとに思い起こすことで、愛犬は心の中に生き続けていくのです。忘れない限り、本当の意味での死は訪れません。

愛犬を失った悲しみが消えることはないと思います。けれど私たちには「時薬(ときぐすり)」があります。時間がたつにつれて心の傷がやされて、あたたかな思い出を抱きしめるようにして生きていけるようになると思います。

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