【ゆうゆうエッセイ大賞】テーマ「もしもタイムマシーンがあったら」佳作受賞作品を全公開!
ゆうゆうエッセイ大賞にご応募いただいた皆さま、ありがとうございます。今年も多数の素晴らしい作品が寄せられ、選考委員一同、選定には大変悩まされました。ここでは、佳作受賞作品と受賞者のコメントを発表いたします。
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>>岸本葉子さんが選考委員【ゆうゆうエッセイ大賞】受賞作を発表!
選考委員
岸本葉子さん エッセイスト
きしもと・ようこ●1961年、神奈川県生まれ。
保険会社勤務を経て、エッセイストとしてデビュー。
何げない日常の中に喜びや楽しみを見つける姿勢を反映した著書が支持を集めている。
『ひとり上手のがんばらない家事』(だいわ文庫)、『60代、少しゆるめがいいみたい』(中央公論新社)など著書多数。
【佳作】「マイホーム」田中真砂子さん(長野県・59歳)
今から45年前、ある日父から、「真砂子、中古の家を見つけたんだ! 家族みんなで、一緒に見に行かないか?」と、誘われた。
当時中学2年生。
反抗期真っ只中の私は、「行かない。みんなで行ってくれば?」と、無愛想に答えた。
母と、9つ離れた妹と、父とで、中古の家を見に行った。
我が家といえば、引越しながらも、ずっとアパート暮らし。
当時住んでいたアパートは6畳二間の風呂無しおんぼろアパート。
家族4人で住むには手狭で、近くに銭湯はあったものの、お風呂がないのは致命的だった。
父は家族の為に一生懸命働き、新築の家は金銭的には無理だが、中古なら買えると思い、家族4人で、一軒家に住みたいという夢があったのかも知れない。
それがまさか? 1年後に、叶わぬ夢になってしまうんだなんて、父本人はもちろん、私達家族は、全く想像だにしなかったのである。
昭和57年2月5日、長距離トラック運転手の父は、おんぼろアパートから1時間位の現場で、荷台に積んでいた鉄骨の下敷きになり、労災事故で亡くなってしまったのだ。
当時中学3年の私は、悲しみが深すぎて、涙しか出ない日が続いた。
数年経ち、私の心も落ち着いた頃、父が住みたかった家が、どのような家だったのか?知りたくなった。母は父が亡くなってから精神病を患い、それどころではなくなった。妹は父が亡くなった当時6歳になったばかりで憶えているはずもない。
何故あの時、一緒に見に行ってあげられなかったのだろう?
運命は変えられないのだとしたら、せめて、父が家族4人で住みたかった家だけでも見ておけば良かった。私は今でも悔やんでいる。
もしもタイムマシンがあったなら一緒に家を見、父の誇らしげな顔や、嬉しそうな顔を見たい。
私はこの部屋! と、嬉しそうに話したい。その時、父はどんな顔をしてくれるのだろうか?
優しかった父の事だから、顔をくしゃくしゃにしながら、娘二人を愛おしそうに、笑顔で見つめてくれるだろう。
