【ゆうゆうエッセイ大賞】テーマ「もしもタイムマシーンがあったら」佳作受賞作品を全公開!
【佳作】「時間旅行」中村治子さん(静岡県・67歳)
私は今、タイムシン乗り場にいる。プラットホームの中程に立ち、上り未来行きと下り過去行きの発車時刻を見上げる。体を左にむけると上りのマシンが接近する音を背中で聞いた。
さて、下りに乗るのはいいが、時代ごとか十年単位くらいで降りられる特急には、しばし時間がある。快速は、もっと待つ。まあいいか、思い出ごとの各駅停車にしよう。停車して扉が開いたら、降りるかどうか決めればよい。今回の旅は、長離ではなく行き先は結婚当初の約四十年前が終点だ。途中下車前途無効ってこともない。前途は、すでにある過去なんだから。
マシンが出発し、胃カメラのときの鎮静剤のような気持ち良さを感じながら、私は運ばれてゆく。丸みのある窓の外には、最近の風景。そうだなあ、六十代になってから、どのくらい病院通いをしていることか。私は、記憶を小刻みに飛ばして、少し目をとじる。
最初の駅は、父が亡くなったとき。扉が開いて、父の遺影が見えた。父の介護に悔いはないと思ったら、静かに扉がしまった。続いて母が旅立ったとき。まだ仕事をしていた私は、できる範囲で面倒はみたが、実の母娘だと難しく感情的になることもあった。懺悔。だがマシンを降りて母と会話しようとは思わなかった。下車しての発言は、三回までだ。
十年近く前の日付の駅。同居していた義父の命日。本当に苦労させられた。なんだってザ・昭和の家長だったから。あんな気難しい人の下に、よくいたものよ。そう、下に。嫁っこなんて最下位だからね。私はマシンを降りて、「長男の嫁として、ようやく自分の時代がきました」と、爺様が目をむきそうなことを言って深呼吸する。
続いて、義理のオバ、義父の姉の名前がある駅。この人とも、同居していた。余計な苦労だった。この頃が、一番辛かった。「各駅停車じゃなかったら、思い出さなかった。」
強くなったなあ、私。そうよ、私はすで四人の年寄りを見送っているんだ。
ここは? 二十五年前よ。私が初めて教員として働き出したのは。忙しかった。たくさんの問題に直面して乗り越え、赤面して肝に銘じ、濃い深みのある味わいの日々。楽しかった。中年期になって、天職という言葉が使えるなんて。マシンに乗って良かった。ブラックな辛苦の「嫁山話」ばかりじゃなくて、私にもお宝映像があるんです。
いよいよ終点。私が、現在の名字になった日。私はマシンを降りて、ベンチに座る。改札を出るつもりはない。思い出に立ち寄っても、ホームの広告にもあるように、「過去は変えられません」。けれど私は、過去への想いや捉え方は、変えたり上書きできると知った。
私は、来し方の方が長い年齢だ。今日、自分の布団でいつも通り眠れさえすれば上等、過ぎた過去のしがらみも大したことないと想いながら、回送マシンに乗り込んだ。
佳作受賞者コメント
中村治子さん(静岡県・67歳)
作中、私が過去行きのタイムマシンに乗った目的は、人生の立ち位置を決め直すことではありません。どの場面の自分にも寄り添うことができるかと考えたから。もしかしたら棺とはタイムマシンなのではないか、そんなことも考えました。
