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ザ・タイガース復活ライブの裏話。【79歳・瞳みのるさんのターニングポイント#4】人生は何度でも初期化できる!

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藤岡眞澄

あの時代を知る人なら、きっと胸が熱くなる。グループサウンズの黄金期を駆け抜けた「ザ・タイガース」。その中で、仲間をまとめ、前へ前へと歩いてきたのが、瞳みのるさんでした。解散後、彼が選んだのは音楽とは異なる道——。いくつもの決断が、瞳さんの人生を形づくっています。第4回の最終回は、38年の時を経て戻ってきた、タイガースのメンバーとの再会について伺います。

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>>ザ・タイガースのドラマーから慶應合格、教壇へ転身した理由とその秘話【79歳・瞳みのるさんのターニングポイント#3】

「僕らは幼馴染、昔ながらの友だちだったんだ……と」

——電話をかけてほしい、という1枚の名刺がきっかけで、「ザ・タイガース」が解散して以来、37年ぶりに元マネジャーの中井国二さんと会うことになりましたね。

慶應義塾高校の定年は65歳なんですが、そのころの僕は還暦を過ぎて、これからのことを考えていたタイミングだったんです。名刺を見た時は疑心暗鬼だったけれど、ふと、中井さんに会ってみようかという気持ちに傾きました。

——頑なに閉ざしていた芸能界との接触の扉を開いた理由は何だったのですか?

会うなり、「マネジャーとしての自分の力不足で、あれほど仲のよかったメンバー5人の友情を壊してしまった」と静かに詫びてくれた。率直で、タイガース思いの中井さんの姿に心が動いたんですね。

ちょうどその頃、沢田が東京ドームで還暦ライブをやっていて、「ピーのことを思って『Long Good-bye』(岸部一徳、沢田研二/作詞 森本タロー/作曲)という曲を歌っているよ」と聞いたのもこの時でした。

——その歌詞に「一度、酒でも飲まないか」とあるように、中井さんのセッティングでメンバーと再会することになりますね。

2008年12月17日、場所は渋谷。なぜか加橋は来なかったけれど、中井さんを囲んで岸部、森本、沢田と僕が集まったんです。

「ザ・タイガース」として活動したのはわずか4年足らずでしたけれど、あれほど濃密な時間というものは、38年の時を隔てても戻って来るもんなんですね。

僕ら5人は寄せ集められたメンバーではなくて、幼馴染。昔からの友だちだったんだ、ということが身に沁みました。

——その後、2011年から沢田さんのコンサートツアーにゲスト出演。2013年にはオリジナルメンバー5人が揃った「ザ・タイガース」復活ライブツアーが開催されました。ステージ活動を再開した理由は何でしたか?

1つは、2008年に離婚したことです。子どもが2人とも成人して、子どもの面倒をみたり、食事を作ったり、家の中で僕が担ってきた役割の必要性が低くなったということですね。

そんなときに、中井さんから「ピーが必要だ」と声をかけられた。離婚していなければ、活動再開はしていなかったと思います。

もう1つは、2010年に33年間勤めた慶應義塾高校を退職したこと。定年まであと2年を残していましたが、中国語の履修者数が全国の高校でトップになったこともあり、一区切りつけようという気持ちになりました。

——ドラムスティックを握るのは、40年ぶりになりますね。

40年間のブランクも心配でしたが、実は2009年に脳梗塞になったことの不安のほうがもっと重大でした。

中国旅行の最中に発症して2日ほど意識がなく、死の淵を彷徨いました。

ようやくリハビリ生活に入ったときに、病院のベッドの上で、なぜかドラムスティックを握ってみようと思ったんです。医師からは「頭を振るようなことはNG」と止められましたが、スティックだけは手放しませんでした。「ザ・タイガース」のDNA、なんですかね。

——そんな大病をなさったようには見えませんが……

2001年、55歳のときには劇症A型肝炎で命を落としかけていますし、一昨年は肺炎で入院して、体力がガクーンと落ちました。

だからといって、ドラムを叩く力をセーブするかといえば、つい全力でやってしまうんですけれどね。

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