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「ラヴィット!」で一躍有名に!女優【みょんふぁ】を支える、型破りな家訓の力「仕事も人生も遊びが全て」

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ゆうゆう編集部

TBSの朝のバラエティ番組「ラヴィット!」で、韓国人俳優の通訳として出演し、そのチャーミングな人柄で一躍その名を知られるようになった、みょんふぁさん。女優や司会、通訳として活躍するみょんふぁさんに、意外なこれまでの歩みや、自身を支える言葉をインタビュー。第1回は家訓でもある、「遊びをせんとや生まれけむ」にまつわるエピソードなどを伺います。

プロフィール
みょんふぁさん 女優、通訳、司会

みょんふぁ●大阪府生まれ。
女優として映画、舞台などで活躍。韓国語・英語通訳、司会、翻訳の他、芸能事務所SORIFA代表も務める。
2015年、文化庁新進芸術家海外研修制度にて、韓国国立劇団へ俳優留学。17年第9回小田島雄志・翻訳戯曲賞受賞。
Instagram、TikTok(@myonkodive)「みょんふぁのカンタン韓国語」が人気。
TBSドラマ「Dream stage」では、みょんふぁ&team SORIFAとして通訳や台本翻訳、日韓両語のセリフ指導などを行っている。

「ラヴィット!」で有名に!どんなに多忙でも「遊ぶことが最優先」

TBSの朝のバラエティ番組「ラヴィット!」で、韓国人俳優の通訳として出演し、そのチャーミングな人柄で一躍その名を知られるようになった、みょんふぁさん。

「もはや自分でも自分の正体がよくわかりません」と笑うみょんふぁさんの経歴は、実に多彩だ。女優、通訳、司会と、いくつもの顔をもち、自らを「多毛作女優」と称して、多忙を極める毎日。しかし、「遊ぶ時間は絶対に大事。『遊びをせんとや生まれけむ』はわが家の家訓なんです」。

「遊ぶ勇気をもちなさい」「自分を喜ばせることをしなさい」という両親からの教えは、みょんふぁさんの生き方に深く根づいている。どれだけ仕事を抱えていても、「『遊ぶことも勇気』と両親から教わったとおり、めっちゃ遊んでます。私にとっては遊びが一番です」。趣味も多く、仕事の合間をぬっては滝を見に行ったり、乗馬を楽しんだり、サウナで整ったりする時間を大事にしているという。

「『遊んでいる人が一番』。そう考えているので、自分自身が心から楽しむことを大切に、いつもワクワクすることを探しています。どんなに多忙でも、『遊ぶ』ことが最優先。自分自身が心から楽しむ時間こそが人生を豊かにし、周囲にもいい影響を与えることができて、仕事へのエネルギーにもつながると信じているんです。何より仕事自体を楽しみながら頑張れます」

趣味に没頭している時間は、スマホの電源は切って遊びに集中し、リフレッシュ。それがみょんふぁさん流のオフの過ごし方だ。

「連絡がとれないって怒られることもあるけれど、私にとっては遊ぶこと、そして食べることと寝ることが絶対に大切。『忙しくてオフもなく、あまり休めていないんじゃないんですか』なんて心配してくれる方もいますけど、私をよく知っている人たちは『みょんふぁなら絶対に遊んでるから大丈夫』と安心しているはずです」

「女優になりたい」––––。両親を説得するため「花嫁修業」と偽り大阪芸大へ

演劇の道へ進むきっかけとなったのは、幼少期に習っていた韓国舞踊。舞台に立つ喜びや感動に魅了され、女優を志すようになったものの、両親は猛反対したという。

「私は在日韓国人3世で、当時就職は狭き門。両親は私が小さな頃から『お見合いをして早く結婚してほしい』と願っていました。でも、どうしても女優になりたくて。中学生を卒業するとき、大阪芸術大学への進学を決意したんです」

両親を説得するため「花嫁修業」と偽り、ピアノでの進学を目指すことに。中学卒業後に猛練習を始め、現役で合格したというから驚きだ。

「小さい頃に少しだけピアノを習っていたことがあったのですが、練習が大嫌いでほとんど弾けないまま辞めてしまいました。それなのに、女優になりたい一心で大阪芸大出身のピアノの先生を探してもう一度習い始めることに。3年間必死で練習して、奇跡的に合格したときは私が一番驚きました。大学内でも伝説の人と呼ばれていたみたいです(笑)」

「女優になりたい」。その一心で大阪芸術大学に入学したという、若かりし頃のみょんふぁさん。憧れだった劇団に入り、演技の勉強を始めたものの、両親の猛反対と学業との両立に悩み挫折。ギリギリの成績でなんとか大学を卒業したあと、一般企業に就職し、20代半ばで結婚。しかし、結婚生活は長くは続かず、数年で離婚した。

「結婚することになったとき、ずっと日本で生まれ育った私は、それまでほとんど韓国語が話せなかったので、少しは話せるようになりたいと思って勉強を始めました。でも当時は韓流ブームのずっと前。独学で韓国語と英語の勉強をしているときに、たまたま『ニュージーランドへ行ってミュージカルを作らないか』という話があって。女優として“さくら”をやるつもりでニュージーランドへ行ったはずが、ところがどっこい、演出やダンスの振り付け、劇場探し、スポンサー探しなどを任されることに。そんな日々を過ごしているうちに、『もう一度女優をやりたい』という思いがどんどん大きくなっていきました」

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