記事ランキング マンガ 連載・特集

【寺島しのぶさんのターニングポイント#1】人生を変えた蜷川幸雄さんとの出会い。「お前の芝居を見ているとイライラする」とまで言われ、ものを投げつけられたけど…

舞台でも映像でも大活躍の寺島しのぶさん。それぞれの分野でさまざまな出会いに恵まれ、そのたびに高い壁を自らの力で乗り越えてきました。20〜30代は大きな挑戦を重ねて、名だたる映画賞を多数受賞。大きなターニングポイントになった作品について聞きました。

蜷川幸雄さんの舞台に抜擢されて

歌舞伎俳優の七代目尾上菊五郎さんを父に、映画女優の富司純子さんを母に生まれた寺島しのぶさんは、幼い頃から歌舞伎が大好きで、なぜ自分は歌舞伎俳優になれないのだろうと悔しい思いをして育ったという。

「5歳下の弟(八代目尾上菊五郎さん)が生まれて、彼の目の前にはレールが敷かれているのがうらやましくてしようがなくて、『何も規制がなくて自由でいいじゃない』って言われても、自由ってなんて残酷なんだろうとしか思えなかったですね」

芝居への屈折した思いを抱えながらも向き合えずにいた10代のある日、当時、父・菊五郎さんと舞台で共演していた太地喜和子さんが自宅を訪れた。二人になったときに、「悲しそうな顔をしている」と心の内を見抜かれたような言葉をかけられ、思わず涙してしまった寺島さんは、太地さんのすすめで文学座を受けることに。難関を突破して、みごと研究生となった。

「なんだか、すごく楽しかったんですよ。頼るものが自分しかないという初めての状況で。親の力を借りずに、みんなと切磋琢磨して自力でやっているという感覚。これがたまらなく好きでしたね。『音羽屋のお嬢さん』だなんて、みんな知りませんでしたから」

最初のターニングポイントはすぐに訪れた。文学座のアトリエで、卒業公演として劇作家・清水邦夫作の『雨の夏、三十人のジュリエットが還ってきた』の舞台に出演していたところを、清水さん本人が観て、すぐに演出家の蜷川幸雄さんに電話をかけたのだ。

「たまたま観にいらしていた清水さんが、蜷川さんに『寺島しのぶというのがいて、すごくいいんだよ。こいつを使え』って言ってくださったらしく、それがきっかけで、19歳のときに、セゾン劇場での舞台『血の婚礼』への出演が決まったんです」

93年のこの舞台をきっかけに、9時間に及ぶ上演時間で話題となったギリシア悲劇『グリークス』や、『欲望という名の電車』『テンペスト』『近松心中物語』と、蜷川さんとタグを組む作品が続いていった。

「厳しかったです。本当にあの当時の蜷川さんは厳しかったし、いろんなものを投げられたし。他の人には優しいのに、私は『お嬢さま』だから何を言っても大丈夫と思われていたらしく、目の前で胃薬を飲まれたこともありました(笑)」

普通だったらめげてしまって、二度と立ち上がれそうにもないが、それでも食らいついていった寺島さんは、やはり只者ではない。

「めげましたよ。めげましたけど、それを出すのが悔しかったから、ヘラヘラ笑ってた。まあ、今にして思えば、私を思って一生懸命言ってくださっていたんだということはわかりますけどね。やはり、蜷川さんとの出会いは大きかったです」

画面トップへ移動