朝ドラ【風、薫る】女郎屋からの解放は幸せなのか——夕凪(セツ)が街へ踏み出すまでの道のり。看護婦見習いと医師たちの理念の違いにも注目
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田幸和歌子
シマケンの記事は大きな反響を呼ぶ!
そんななか、ひとつの記事が注目を集める。名前を「夕顔」とするなど細部は変えているものの、心中をはかった女郎の記事で、明らかに夕凪のことを取り上げたものだということは、事情を知っているものなら誰もがピンとくる内容だ。
記事の書き手はシマケンこと島田健次郎(佐野晶哉)だったことが判明する。
「僕が働いている新聞社に夕凪さんの話をしたら、記事を書かせてくれて」
とシマケンは言う。あえて分かるように書いた、文字の力を信じているから、というところはなかなかの策士である。小説家志望で、時にりんの理解者のような存在でもある謎多き青年として描かれてきたが、ここへきてその人物の輪郭が浮かび上がってきた感がある。こういったかたちでりんと直美の歩く道と直接的に交わってきたインパクトは強い。
当事者、つまりセツに直接話を聞いたわけでなく、卯三郎から聞いた話や周辺の情報をもとに一部創作も加えた半フィクションのようなものではあるが、記事は大きな反響を呼ぶ。今風にいうなら「特定」もされ、附属病院には続々とお見舞いが届く。
そのいっぽうで錦栄楼に対する世間の目は冷たくなり、客足が減ってしまうことになる。そして、
「このまま消えてくれ」
権田の口から思わぬ言葉が発せられた。記事の評判が、結果的にセツを〝地獄〟からの解放へと導いた。病院の医師たちの、当初は厄介者のように早く追い出したがっていたところからの手のひら返しもまた印象的だ。バーンズ(エマ・ハワード)のもと看護を学ぶ看護婦見習いたちと、医師たちの理念の違いのコントラストもまた本作の特徴的な演出であろう。
直美は、自分を産んだ母の名が「夕凪」だったことをセツに話した。会ってみたいかというセツの問いからの、人が生まれてからの運命に対するやりとりは、この時代に横たわる社会の不自由さが胸に突きつけられる、見応えあるものだった。明治期どころか戦後からも80年以上がたつ今も、ある種の不自由さ、理不尽さは残る。それをあらためて考えてしまうやりとりであった。女郎屋から解放され自由になったとはいえ、果たしてこれからどこに行けばいいのか。それが幸せに直結しないところに、「生き続ける」という大変さを考えさせられる。
まずは、「セツ」としてはじめて東京の街をフラフラ好きに歩いてみるという。そう言ってセツは病院をあとにした。「凪」とは、風がやみおだやかな波の様子を表す言葉だ。〝地獄〟で与えられたのがそんな名前だったというのもまた皮肉な話である。
セツの人生において、とりあえず凪が訪れたのだろう。そして、その中を本来の名前でおだやかに歩きはじめる。まさに「凪にそよぐ」である。
「今はいいかな、会わなくて」
直美はりんに、生みの親に対する考え方をそう言って笑った。セツとの交流が、直美の中に大きな変化をもたらせたのだろう。
直美とりんの看護をまなぶの道はまだまだ続く。
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