瞳みのるさん、京都時代の「食」を語る。ザ・タイガース結成前、毎朝食べた京漬け物ごはん
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藤岡眞澄
ザ・タイガースのメンバーとして大人気を博した瞳みのるさん。じつは「食べること」をとても大切にしていらっしゃいます。瞳みのるさんの軌跡を「食」とともに追うインタビュー。第1回は、ザ・タイガース結成で東京に出る前の京都時代の食について語っていただきます。
京都生まれの京都育ち
ザ・タイガースのメンバーは全員が京都生まれの京都育ち。ぼくは森本タローと小学校3~4年生、岸部一徳と中学3年生で同じクラスになり、高校の2年後輩の加橋かつみと友人になって、4人で四条河原町のダンスホール「田園」に出入りしていました。そこでバンドボーイをしていた沢田研二に声をかけ、ザ・タイガースの前身となるザ・ファニーズというバンドを結成。18歳まで京都で過ごしました。
ぼくが小さいころ、毎朝のように食べていたのは水菜の漬け物をのせたごはん。水菜は関東では鍋物に使いますけれど、京都では漬け物にして食べるのがポピュラーです。水菜は一夜漬けで、前の晩に塩を振って重しをし、朝、汁気をしぼって、刻んでごはんにのせ、しょうゆをたらす。ぶぶ漬け(お茶漬け)にして食べることもあります。朝はささっとそれだけ。だから、すごく質素。まさにこれが“日常茶飯事”です。あまり食欲がない日でも、これなら箸が進む。シンプルだから、いいんです。
当時の京都は、町内に1軒は漬け物屋がありました。ぼくは京都の仁和学区というほんとうに町中で育っているから、2軒おいて隣が漬け物屋。水菜の漬け物をはじめ、漬け物を買うならこの店、と決まっていました。味噌汁の豆腐は朝、豆腐屋に買いに行く。九条ねぎは行きつけの八百屋。晩ごはんの天ぷらは天ぷら屋で買う。買い置きはしないんです。近所にある個人商店に買いに行くのが当たり前でしたから、冷凍庫が必要ない。要るときに買って、無駄にしない。それが、京都の町中の暮らしでした。
ザ・タイガース結成に向けて東京に出てきたとき、漬け物の種類はもちろん、旨い漬け物がないのでがっかりしたことを覚えています。もう一つは和菓子。近所に秀吉が茶会で用いたと言われる天正年間から続く和菓子屋があったりしますから。京都の店には、そこに行かないと買えない、デパートで手に入るような店にはしないという矜持がある。やはり、漬け物と和菓子は京都が最高だとぼくは思います。