【どうする家康】家康(松本潤)の子を宿したお万の方(松井玲奈)。実は双子を出産していた⁉︎
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鷹橋 忍
「鬼作左」本多重次に介抱された?
『以貴小伝』には、別の説も記されています。
懐妊が築山殿に知られ、酷い目に遭わされることを恐れたお万の方が、ひそかに本多広孝の家臣の半右衛門に相談しました。
半右衛門が本多重次に伝え、重次が家康に報告したうえで、お万の方を迎えて介抱したといいます。
本多重次は「鬼作左」の異名をもつ家康の重臣です。
簡潔で要点を得た手紙として有名な「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」は、重次が天正3年(1575年)の長篠の戦いの陣中から、妻に宛て書いたものといわれています。
双子を出産した?
天正2年(1574)2月、お万の方は本多重次の世話により、浜松の城外の宇布見村で、男児を出産しました。実は双子であったといわれます。
弟のほうは早世したとする説もありますが、お万の兄・永見貞親に育てられ、永見兵衛尉貞愛を称し、永見家を相続しています。
双子の兄が於義丸――のちの結城秀康です。いずれドラマにも、登場するかもしれません。
このとき家康は、生まれたばかりの秀康と顔を合わせることも、子どもとして認知することもしませんでした。
築山殿が承認しない子であったからだと考えられています。
それは正妻の権限であったといいます(黒田基樹『家康の正妻 築山殿 悲劇の生涯をたどる』)。
次回は、その正妻の築山殿に危機が近づくようですが、築山殿はどうするのでしょうか。
鷹橋忍の「大河ドラマの時間」
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