長野智子さん、母ロスの悲しみを乗り越えて思うこと「亡くなってからのほうが母が近くにいる気がします」
最期は夫と二人、母の手を握って
亡くなる前の晩、母の異変を感じた長野さんは、夫に電話をして「今晩はここに泊まるわ」と告げた。
「そうしたら、意識のないはずの母が、私のことを枯れ枝のような体で蹴っ飛ばすんですよ(笑)。どう見ても帰れって言っている。『わかった、明日の朝5時半にまた来るからね』と言って帰って、翌朝改めて行くと普通に寝ていたんです」
ところが12時頃、下顎呼吸が始まる。「これは最後かもしれない」と思った長野さんは、夫に連絡。夫が1時前に駆けつけると、それを待っていたかのように、そこから15分で敏子さんは息を引き取った。
「二人で母の手を握って最後の大きな息をした瞬間、夫が『あっ』と言ったんです。そして私も『あっ』って。時計を見て1時16分だなと思いました。二人で見送りました」
そこから医師、親族、友人・知人などに連絡、夕方には医師が訪れて死亡を確認した。そして、その日のうちに教会でのお通夜と、やるべきことに追われて時は進んでいった。
「やっと泣けたのはお通夜のときです。お葬式までずっとギャン泣きでした。でも荼毘に付して、その夜兄家族と食事をしたときは、もう笑っていたんです。やはり荼毘に付したことが大きいと思います。一連の弔いというのは残された人間にとって諦めがつくようにできているんですね。その後もお金の支払いとか、マンションをどうするとか、現実的な問題を片づける中で、人って戻るようにできているんだと思いました」
とはいえ、時を経てまた新たに生まれる悲しみ、深くなる喪失感もあるのではないだろうか。
「それがほとんどないんですよ。何かの拍子に瞬間的に思い出して、ダーッと涙が出るときはあります。でもひと通り泣いた後はケロッとしちゃう。というのも亡くなった後のほうが、母が近くにいる感じは強くなったんです。お墓に行かなくても、『ママ、いつもいるよね?』って」
どんなに愛していても親は先に逝く。それが親孝行なんだなぁと
母を亡くすことを恐れ続けてきた長野さん。今、母と毎朝歩いた道をひとりで散歩しては「よく歩けているな」と思う。母を見送ってあの頃の恐れは消えたのだという。
「やはり人を最後に見送るときってものすごい勢いで覚悟をするわけです。見送った後の自分は、その前の自分と明らかに違う。見送ったことが自分を強くもするし、諦めもさせる。どんなに愛してどんなに大切でどんなに一緒にいたくても、親は先に死ぬもの。それが幸せであり親孝行ですから。その経験が自分を変えてくれるんです。大丈夫、人間ってよくできているなと思いますよ」
INFORMATION
『データが導く「失われた時代」からの脱出』
経済低迷が続き、いまだ「失われた時代」にある日本。しかし、そこから脱出し、ビジネス開拓を試みる企業が生まれている。2年にわたる国会・企業の取材と数々のデータによりその答えを明らかにする長野さん渾身のレポート。長野智子/著 河出書房新社 1870円
※この記事は「ゆうゆう」2024年3月号(主婦の友社)の内容をWEB掲載のために再編集しています。
取材・文/志賀佳織
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