【虎に翼】本当にガラスのコップを齧っていた!桂場等一郎(松山ケンイチ)のモデルとされる石田和外とは?
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鷹橋 忍
NHK朝ドラ『虎に翼』の登場人物のモデルが気になっている方、多いのではないでしょうか。作家 鷹橋 忍さんが、その実在モデルと思われる人物をひも解きます。第2回は、松山ケンイチさん演じる桂場等一郎のモデルについて。
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NHK連続テレビ小説『虎に翼』の、登場人物のモデルと思われる人物をご紹介するこのシリーズ、第二回は松山ケンイチさんが演じる桂場等一郎を取り上げたいと思います。
ドラマの桂場等一郎は、優秀で冷静なエリートであり、大変な甘党で、時には食器を囓って流血するユニークな面も持ち合わせていますが、そのモデルとされるのは、どのような人物だったのでしょうか。
桂場等一郎のモデルは石田和外?
桂場等一郎のモデルは、最高裁判所長官(五代)となった裁判官の石田和外(かずと)ではないかといわれています。
石田和外は、彼の遺文集『石田和外遺文抄』に収められた「出生・幼年の頃」によれば、明治36年(1903)5月20日に、福井県福井市で生まれました。
『虎に翼』の主人公・伊藤沙莉さんが演じる猪爪寅子のモデルである三淵嘉子は、大正3年(1914)11月13日生まれですので、彼女より11歳年上となります。
父は龍雄、母は「みつ」といい、石田は二男で、兄が一人と三人の姉(一人は早世)、三人の妹と弟が一人いたと、『石田和外遺文抄』に記されています。
東京帝国大学法学部へ
石田和外の祖父は、石田磊(こいし)といいます。磊は実業家として成功しており、福井市議会議長、第九十二銀行の頭取、福井商工会議所の初代会頭などを務めていました。
「和外」という珍しい名は、祖父によって命名されたといいます。
祖父・磊は、明治42年(1909)2月に、65歳で亡くなりました。
県庁に勤めていた父・龍雄も、大正5年(1916)、石田が中学一年の時に46歳でこの世を去ると、福井の屋敷を売り払い、石田の一家は東京に居を移します。
石田は東京・神田の錦城中学校へ編入。
その後、第一高等学校(略称「一高」)を経て、東京帝国大学法学部へとエリートコースを進み、裁判官への道を歩んでいくのですが、石田自身が、「私の人生は裁判と剣でした」と述べるように、「剣」というもう一つの道にも、突き進んでいくことになるのです。
剣の達人
『石田和外遺文抄』によれば、石田は10歳か11歳の頃から剣をはじめ、第一高等学校で撃剣部(剣道部)に所属しました。
ここで石田は、剣道師範・佐々木保蔵に出会います。
「豪傑純情、天衣無縫、天下の豪傑」である佐々木に石田は心酔し、昭和6年(1931)4月、27歳の時に、佐々木の長女・恭子と結婚することになります。
また、石田は一刀正伝無刀流の道統を継ぐ草鹿龍之介(のちの連合艦隊参謀長)の指導を受け、同流第五代の宗家となっています(全日本剣道連盟『財団法人全日本剣道連盟三十年史』)。
さらに、小野派一刀流も学び、免許皆伝を受けています。
正義に徹する道を選ぶ
昭和2年(1927)3月、石田は東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、裁判官生活に入ります。
進路を決めるにあたり、石田の脳裏には外交官や銀行員への道も浮かびました。
ですが、恩師・佐々木保蔵から口にしている「正義に徹する道」を選び、裁判官を志したことが、『石田和外遺文抄』「司法官試補の時代」に綴られています。
石田は若い頃から裁判所の「期待の星」でした。
駆け出しのころに福島、長野地裁での勤務をし、昭和8年(1933)7月、30歳のときに東京地方裁判所の判事となります。