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【虎に翼】本当にガラスのコップを齧っていた!桂場等一郎(松山ケンイチ)のモデルとされる石田和外とは?

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鷹橋 忍

「水中に月影を掬するが如し」

石田の東京地方裁判所時代、昭和9年(1934)に、疑獄事件「帝人事件」が発生しました。

帝人事件は、ドラマで、岡部たかしが演じた猪爪直言(猪爪寅子の父)が巻き込まれた「共亜事件」のモデルといわれています。

昭和12年(1937)、ドラマと同じように、全員に無罪判決が言い渡されますが、このとき、主任裁判官として、「水中に月影を掬するが如し」という名文句を使って、判決文を執筆したのが石田です。

なお、寅子のモデルである三淵嘉子の父・武藤貞雄は、帝人事件とは無関係です。

なすべき事は、すべてなし終わった

昭和22年(1947)3月、43歳のとき、石田は司法大臣官房人事課長となります。
この頃、寅子のモデル・三淵嘉子は、石田に裁判官採用願いを提出しています。

石田はその後も、昭和31年(1956)に東京地方裁判所所長、昭和35年(1960)に最高裁判所事務総長、昭和37年(1962)に東京高等裁判所長官を歴任しています。

さらに昭和38年(1963)には最高裁判所判事、昭和44年(1969)年1月には、65歳で最高裁判所長官となり、昭和48年(1973)5月19日、定年により退官しました。

超エリートの石田でしたが、気さくで、部下の面倒見がよく、裁判所では絶大な人望を得ていたといいます(野村二郎『日本の裁判史を読む本』)。

退官後は妻・恭子ともに鎌倉に居を移し、余生を謳歌しますが、「なすべき事は、すべてなし終わった」と言い残し(石田和外『子々孫々』)、昭和54年(1979)5月9日、75歳で、この世を去りました。

ガラスのコップを囓り、甘い物も好きだった?

ドラマの桂場等一郎と同様に、石田もパーティーなどに出席した際に、ガラスのコップをガリガリと囓り、血だらけになることもあったそうです(山本祐司『最高裁物語㊦ ――激動と変革の時代』)。

また、甘い物も嫌いではなく、羊羹、和菓子、洋菓子、汁粉、飴類から甘栗、お餅を喜んで食べると、『石田和外遺文抄』「からだの履歴書」に記されています。

甘党はともかく、コップを囓っていたのは意外ですね。

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