【宮川大助・花子】「介護施設に入るから」という言葉をのみこんだ宮川花子。おしどり夫婦がぎくしゃくした瞬間とは?
完治しない病気の妻を老老介護で懸命に支える“なにわ介護男子”。宮川大助・花子さんの夫婦のエッセイが話題です。笑いのプロのふたりだから、大変な闘病も介護も笑いに変えてしまいます。新刊『なにわ介護男子』から一部を抜粋して、5回にわたりご紹介する最終回は、二人の間がぎくしゃくしたときのエピソードです。
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多発性骨髄腫と闘う宮川花子「お笑いの先輩や仲間が私のダメなところを少しずつ変えてくれた」
宮川花子さんは2018年に突然余命半年と宣告され、2019年には多発性骨髄腫の診断を受けて記者会見。いったんは寛解しました。
新刊『なにわ介護男子』には、その9カ月後に再発した多発性骨髄腫と次から次へと起こる新たな症状との不屈の闘い、それを愛情深く支え続ける大助さんの老老介護が何一つ隠すことなくつづられています。
今回は、介護する者とされる者。疲れやイライラでぎくしゃくしたときの話です。書籍から抜粋して紹介しましょう。
著者紹介
宮川大助・花子
夫婦漫才の第一人者。大助は1949年10月3日、鳥取県生まれ。会社員を経て、浪曲漫才の宮川左近に弟子入り。ガードマンの仕事をしながら100本の漫才台本を書く。漫才ではネタ作りとツッコミ担当。花子は54年8月28日、大阪府生まれ。大阪府警に入庁後、チャンバラトリオに弟子入り。漫才ではボケ担当。76年に結婚、79年にコンビ結成。87年上方漫才大賞の大賞 受賞。2011年文化庁芸術選奨 文部科学大臣賞 大衆芸能部門、17年紫綬褒章。19年12月、花子が自らのがんを公表。2023年5月に大阪・なんばグランド花月に復帰。徐々にステージやテレビ、ラジオ出演を増やしている。著書に『あわてず、あせらず、あきらめず』(主婦の友社)ほか。
私、もう介護施設に入るから
でもね、いつも楽しく笑っているわけではないんですよ。
私たちもどこにでもいる普通の夫婦ですから、ちょっとしたことで二人の間がぎくしゃくすることもあるんです。
ある夜のことでした。私の尿道にバルーンカテーテルを挿入したら、大助くんの一日の介護は終わり。ようやくほっとひと息つける時間になるんです。
でも、その日は私が続けざまに「白内障の目薬お願いしていい?」と言ったもんだから、うんざりしたんでしょうね。
いつになくいらついた口調で「ちょっと待って くれるか? バルーンのあとに目薬さそうと思ったら、もう一回、手を洗ってきれいにせなあかんから」と不機嫌さを隠そうともしない口調で言うんです。今は 自分で目薬をさせていますが、その頃は大助くんに一日 回さしてもらっていたんです。
ああ、大助くん、しんどいんやな。そら、そうや。大助くんだって腰が痛いのに、こんなに無理させて。悪かったと思うと同時に、いたたまれない気持ちになりました。
「私、もう介護施設に入るな」
もう少しで、この言葉が口から出そうになりました。
94歳になった母も、ちょうど施設に入ったところでした。姉が「お母さん、介護施設に入ったよ」と連絡してくれたので、「うん、ありがとう。それでええよ」と答えていたんです。
病気をするまでは私が母と同居していましたが、最近はずっと姉たちが大変な思いをしながら面倒を見てくれていましたから。母は施設に入るのが一番いい。
じゃあ、私は?
私もそうしたほうがええんちゃうか?
そしたら大助くんにこれ以上負担をかけることもないし、私も大助くんの疲れた顔を見なくてすむ。みんながラクになる。今度ケアマネージャーさんが介護認定調査に来てくれたとき、施設を探してもらうようお願いしよう。
じっと天井を見つめながら、この家から離れようとしている自分がせつなくて悲しくて、心は重く沈んでいきました。
でも 言葉にはせず、「ごめん」とだけ言ったんです。
20分ほどたった頃でしょうか。大助くんが「僕もなんかちょっと、しんどくてな。いらんことばっかり言うてしもて、悪かったな」と言うんです。
私、何も言っていないんですよ。怒った顔も見せていません。ただ黙って横になっていただけです。
それなのに「ほんまにごめん。僕もちょっとイライラしてて、つらい思いさせた。許してな」って。
大助くんに背中を向けて、ちょっとだけ泣きました。
そしてものすごく反省したんです。私はなんてことを考えていたんだろうって。
「介護施設に入る」なんて言わなくて本当によかった。そんなことを言ったら、大助くんはどんなに悲しむだろう。こんなに一生懸命に尽くしてくれているのに、肝心の私が逃げてどうするんだ。自分から介護施設に入るなんて絶対に言っちゃいけない。
この夜、私はまた少し強く、前向きになったと思います。