【中学・高校受験】関西トップレベルの進学校が、30年前には不登校、ケンカ、迷惑行為が日常茶飯事だった!?
初年度入学者の学力は偏差値は50前後
第1回の入学試験では、男女合わせて定員315名のところ、あえて合格者を定員以下に抑えることにしました。その結果、初年度入学者の学力は、奈良県内にある四十数校の公立高校では中堅クラス。偏差値は50前後だったでしょうか。
この「中堅クラス」というのが実はやっかいなところで、明確に大学進学を目指している生徒もなかにはいるものの、多くは高校受験を勉強の最大の山場ととらえており、高校では思いきり羽を伸ばそうと思っていたり、公立高校に落ちて劣等感を抱いていたり。
勉強が決してできないわけではないけれど、向学心に乏しく、要領もあまりよくない。そんな生徒がいる一方、とことん劣等生ではないけれど、それなりにやんちゃをしたい生徒もいる。
西大和学園高等学校の記念すべき1期生は、どこにでもある中堅クラスの私立高校同様、学力的にもごく普通で、どこかのんびりした子も多かったのです。
入学したのは男子186名、女子32名の計218名。
いくら幅を利かせても先輩にガツンとやられることはありませんから、彼らは自由気ままに、好き放題に学園生活を送り始めました。
「授業に飽きた」といって、勝手に教室から出てしまう子もいれば、「気が向かない」といって学校にすら出てこない子もいる。外へ出ればケンカや迷惑行為は当たり前。教員が駆り出されない日はないというほどでした。
現代の子どもたちは、昨日まで優等生だった子やおとなしく目立たなかった子がいきなり世間を震撼させるような凶行に走るという事例も多いですが、1980年代の子どもたちは不満や悩みのはけ口を、今よりもっとストレートに大人や学校へぶつけていた気がします。ヤンキーやツッパリを気取る生徒も多く、西大和学園でも窓ガラスやげた箱のドアを修理する業者が絶えず出入りしていました。
【2回目に続きます】
※この記事は『なぜ田舎の無名高校が東大、京大合格トップ進学校になれたのか 西大和学園の躍進』田野瀬良太郎 著(主婦の友社)の内容をWEB掲載のために再編集しています。
学校法人西大和学園会長
田野瀬良太郎
たのせ・りょうたろう●昭和18年10月31日生まれ。奈良県五條市出身。名古屋工業大学卒。大学時代に1年間アルバイトをしながら、ロシアからヨーロッパ、中近東、東南アジアなど33か国を歴訪。これを機に政治の道を志し、昭和48年五條市議会議員初当選。その後、奈良県議会議員、衆議院議員に当選し、自治政務次官、財務副大臣、自民党文部科学部会長、自民党三役・総務会長(第48代)を務める。議員活動を始めてまもなく、教育は政治上の最重要課題であると痛感し、実践として昭和56年になかよし保育園を開園。その後、西大和学園高等学校・中学校、西大和学園カリフォルニア校、白鳳女子短期大学を設立し、平成26年4月に大和大学を開学し、学長に就任。学校法人西大和学園会長。
たのせ・りょうたろう●昭和18年10月31日生まれ。奈良県五條市出身。名古屋工業大学卒。大学時代に1年間アルバイトをしながら、ロシアからヨーロッパ、中近東、東南アジアなど33か国を歴訪。これを機に政治の道を志し、昭和48年五條市議会議員初当選。その後、奈良県議会議員、衆議院議員に当選し、自治政務次官、財務副大臣、自民党文部科学部会長、自民党三役・総務会長(第48代)を務める。議員活動を始めてまもなく、教育は政治上の最重要課題であると痛感し、実践として昭和56年になかよし保育園を開園。その後、西大和学園高等学校・中学校、西大和学園カリフォルニア校、白鳳女子短期大学を設立し、平成26年4月に大和大学を開学し、学長に就任。学校法人西大和学園会長。
なぜ田舎の無名高校が東大、京大合格トップ進学校になれたのか 西大和学園の躍進
田野瀬良太郎 著
主婦の友社刊 1760円
奈良県にある私立中高一貫校である西大和学園。今や、東大、京大合格者数で全国トップレベルの進学校であるが、わずか30年前までは無名私立高校だった。西大和学園はいかにして共学トップ進学校になったのか?今、西大和学園が求める次世代のエリートとは?伝統校との違いは?創設者であり、学園の会長である著者がこれまでの西大和学園の歩みのすべてを語る。
※本書は2015年刊行『田舎の無名高校から東大、京大にバンバン合格した話』に加筆、修正を加え再構成したものです。
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