【ダウン症の書家・金澤翔子さん】人気と栄光のその先は?母の憂いは“大人の幻想”か
世界各地で個展や公演を開催する、ダウン症の書家 金澤翔子さんが表現する書。翔子さんを世界の舞台で活躍する書家へと導いた、母であり書の師匠である、金澤泰子さんの文。母と子が奏でる、筆とペンの力をじっくりとお楽しみください。
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舞台で揮毫(きごう)を終え、ダンスを踊りアンコールの拍手を浴びた翔子が、頬を紅潮させて「お母さま、このアンコールはどこ行くの」と聞いてくる。「翔子への拍手だよ、翔ちゃんが全てを受け取るんじゃないの?」。しかし、確かにこの熱気と満場の拍手のエネルギーは一体どこへ行くのだろう。小さな翔子ひとりの為に、こんなに多くの人が喜んでくれるのだ。栄光だ。
大舞台で一人で書き、踊り、興奮のるつぼにいる。華やいで、得意げに万雷の拍手で舞台を降りる翔子の姿を見るにつけ、私にはいつも憂いが刺していた。「降り止まない雨はない」というけれど、「鳴り止まない拍手」もないだろう。二十歳から皆に褒めて、支えてもらい、もう二十年間も翔子は拍手の中で過ごしてきた。その間、私はといえば翔子の人気の凋落(ちょうらく)の日ばかり考えていた。
凋落のない人気なんてない。だから、「翔ちゃん、いい気になってはいけないよ」と、いつも私は心の中で呟いている。翔子が傲慢な人間になったらどうしよう。「いつまでもみんなが褒め称えてくれる」と思ったら大間違いだと戒めるけれど、翔子はそんなことに無頓着。将来への憂いも不安もなく、今だけに全力を注いで、みんなに喜んでもらいたくて生きている翔子の方が正解なのかもしれない。
将来への憂いなどは、物知り顔の大人の、私の幻想だ。人気があってもなくても皆に喜んでもらいたくて、今だけに全力投球し、喜びだけで生きている翔子に私は一体、何を教えようとしているのか。翔子は人気など関係ない。どうであれ、周りの人に喜んでもらえることをするだけなのだ。
拍手の中、舞台を駆け降りてきて「お母さま、うまく書けたかな」と私に問いかける。うまく書けたに決まっているではないか。あんなに皆に喜んでもらいたい想いだけで書いているのに、失敗などあるはずがない。この多くの声援は翔子の力なのだろうか、あるいは障害のある翔子への、皆の温かい願いなのだろうか。果たしてアンコールの行方は翔子を幸せにしてくれるだろうか。
しかし私は年老いた。翔子をこの不安定な〝書〟の道に残して逝けないので、念願の喫茶店を開き、翔子にウエイトレスとしての幸せを与えた。万雷の拍手を、一人一人に心を込めて「いらっしゃいませ」とお茶を差し上げる仕事に変換だ。翔子にとっては〝書〟での多くの栄光も喜びも、小さい喫茶店で一人一人に喜んでもらうことも同じなのだ。翔子の価値観では、どちらも「嬉しい」。
金澤泰子 ● かなざわ・やすこ
書家。明治大学卒業。書家の柳田泰雲・泰山に師事し、東京・大田区に「久が原書道教室」を開設。ダウン症の書家・金澤翔子を、世界を舞台に活躍する書家へと導いた母として、書の師匠として、メディア出演や本の執筆、講演会などで幅広く活躍。日本福祉大学客員教授。
金澤翔子 ● かなざわ・しょうこ
東京都出身。書家。5歳から母に師事し、書を始める。伊勢神宮など国内の名だたる寺社や有名美術館の他、世界各地でも個展や公演を開催。NHK大河ドラマ「平清盛」の題字や国連本部でのスピーチなど活動は多岐にわたる。文部科学省スペシャルサポート大使、紺綬褒章受章。昨年12月、大田区久が原に念願の喫茶店をオープンした。 今年は書家デビュー20周年の記念の年となる。
文/金澤泰子 書/金澤翔子
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※この記事は「ゆうゆう」2025年9月号(主婦の友社)の内容をWEB掲載のために再編集しています。
