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祖母の柿、母のすいか、父のぶどう……果物に込められた家族の愛

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ゆうゆう編集部

朝晩は過ごしやすい日が増え、読書をするのに最適な季節となります♪ ゆうゆう10月号の「ゆうゆうパーク」に寄せてくださった読者からのお便りをご紹介します! 今回のテーマは『果物の思い出』です。

『祖母の家の柿』

「落ちんように、気をつけて登らんといけんよ」と祖母の声。中学生の頃、私が柿の木に登ろうとしたときのことだ。
毎年、秋になると私は山里に住む祖母の家に出かけた。その日も友達と3人で自転車に乗り、40分近くかけて祖母の家に行った。祖母の家には、さまざまな木があった。びわやいちじく、栗、椎、ぐみなどである。なかでも私の好物は柿だった。ジャージーに運動靴という登りやすい恰好で、木に登り始める私。小さい頃から「木登り名人」と言われていた。足場を確認しながら落下しないように、柿がたわわに実っているところまで登る。熟した柿をもぎ取ったり、はさみで切り落としたり。下には友達が待ち受けており、かごにどんどん入れていく。小一時間で竹製のかごがいっぱいになった。
早速、祖母がその場で柿をむいてくれる。甘くて柔らかい果肉が口いっぱいに広がり、みんなと「おいしい、おいしい」と舌鼓を打ちながら食べた。その後、祖母はお茶とお菓子でもてなしてくれる。帰り際、祖母は3人に同じように袋いっぱいの柿を渡し、「来年もございね(来なさい)」と言った。祖母の温かいまなざしと優しさにふれ、幸福感でいっぱいになったのを覚えている。
(アサガオさん 72歳・島根県)

『大事に育てたすいかが……』

わが家は戦後、長らく貧乏でした。母は小学校(国民学校)の教員でしたが、戦後は家事に専念。実にこまめでよく働きました。自宅近くの畑を借り、野菜を作って家族を養ってくれました。母が熱心に精を出したのがすいか作りでした。育ったのはひと玉だけでしたが、真夏になると見事に丸々と大きくなって、自宅の窓からも見えるほどになりました。私たち子どもは、すいかを口にするのを楽しみにしていました。
ところがお盆前のこと、白昼堂々とすいかを持っていかれてしまいました。畑の近くにお墓があり、畑の地主の親類が墓参りのついでに持ち去っていったのです。大柄でこわもてな男性で、しかも畑の地主の親類なので、母は何も言えなかったらしいです。私は今でもあのときのことを思い出すと、悔しい気持ちがよみがえります。母もあの男性も今は亡くなっていますが、食べ物の恨みは残るものです。
(よりたんさん 77歳・広島県)

祖母の柿、母のすいか、父のぶどう……果物に込められた家族の愛(画像3)

梅原正美さん  66歳・神奈川県

父とぶどう

私が小学校5年生のとき、突然の病気で父が倒れました。一命はとりとめたものの、寝たきりの状態。母は私を含め5 人の子を養うため、夜も寝ないで働きました。私は中学3 年生のとき、高校進学をあきらめて、就職で今住んでいる街に来ました。そこで父の訃報を聞くこととなりました。
妹や弟には父が寝ている記憶しかなく、「子どもの頃、家の中は暗かったなぁ……」と今も言います。私が小学校5年生までは、父は元気に青果市場で働いていました。私の誕生日になると、「今日はあっこの誕生日だから、ぶどうを買ってきたぞ!」と、箱でぶどうを買ってきてくれました。
今もぶどうを見ると、父のうれしそうな顔が浮かんできます。
(あっこさん 58歳・愛知県)

※この記事は「ゆうゆう」2025年10月号(主婦の友社)の内容をWEB掲載のために再編集しています。

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