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ザ・タイガース結成前夜の秘話【77歳・加橋かつみさんのターニングポイント#1】衝撃を受けた出会い

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藤岡眞澄

グループサウンズの全盛期を駆け抜けたザ・タイガースの元メンバー 加橋かつみさん。胸に残る「花の首飾り」は今も多くの人この心をとらえています。時代を代表する名曲を歌い上げた加橋さんの人生には、いくつものターニングポイントがありました。音楽と歩んできた道のり、そして現在について伺いました。第1回は、ザ・タイガース前夜。

加橋かつみさん Profile

かはしかつみ●ミュージシャン ザ・タイガースの元メンバー
1948年、京都生まれ。1967年にロックバンド「ザ・タイガース」のギタリストとしてデビューし、日本のグループサウンズ黄金期を代表する存在となる。リードギター、ボーカルを担当し、高い音楽性と澄んだ透明な声でファンを魅了した。タイガース脱退後はソロ活動に転じる。ヒット曲「花の首飾り」「廃虚の鳩」「色つきの女でいてくれよ」「ニルスのふしぎな旅」OP主題歌、「ひらけ!ポンキッキ」OP曲、「青い空 白い雲」ED曲、「かもめが空を」など。近年は、銀座タクトをはじめとするライブハウスで精力的にステージを重ねている。※最新のライブ情報は記事末で紹介

「このグループは他に勝てる」と勘が働いた瞬間

——全員が京都育ち、という「ザ・タイガース」の5人が出会ったきっかけからお聞かせいただけますか? 奇跡のような巡り合わせだと思います。

僕と岸部(修三/現・岸部一徳さん)、森本(森本太郎さん)、瞳(瞳みのるさん)は幼なじみだったり、学校つながりの遊び仲間。高校生だった4人が、四条河原町にあった「田園」というダンスホールに通っていたんです。

ちょうどそのころ日本に入ってきたザ・ベンチャーズに憧れたこともあって、4人で始めたのが「サリーとプレイボーイズ」というアマチュア・バンド。バンド名の“サリー”は岸部のニックネームです。

——バンドのスタートは“トッポ”(加橋さん)、“サリー”、“タロー(森本さん)”“ピー(瞳さん)”の4人だったんですね。

当時、僕らはバンド演奏することで、週末に「田園」で開かれるダンパ(ダンスパーティー)のチケットを売って、アルバイト代わりにするようなことをやっていたんです。

でも、バンドを始めたばかりで、どうしてもまだ演奏が下手。演奏しながら歌うということができない。でも、演奏ばっかりではステージが持たない、歌も入れないと、ということで、「田園」でボーカルをしていた沢田(沢田研二さん/“ジュリー”)に声をかけ、バンド名も「ファニーズ」に改めました。

沢田が入って5人になったことで、「このグループは何をやっても他に勝てる」という勘のようなものが働いた。これは、他のメンバーも同じだったんじゃないかと思います。

——加橋さんは初めからリードギターを担当されたのですか?

そうです。ギター、特にエレキギターは他の楽器にはない魅力がありますからね。

なにしろ、初めて聴いたベンチャーズのギターの音色に驚いた。エレクトリックで楽器の音を増幅して出す、というのは、それまでにはなかった画期的なことなんです。

たとえば、2000~3000人どころか、何万人というお客さんの前でも、ジャーンと弾いたエレキギターの音は隅々まで響きわたる。会場全体が一瞬にして、一体感に包まれる感覚があるんです。

だから、僕はギターでなかったら、バンドをやろうとは考えなかったと思います。

「世界を変えるような仕事がしたい」と思った

——そんな加橋さんがプロの道に進んだ理由は何だったのでしょう。

それは、「ザ・ビートルズ」の存在ですね。

僕らがまだ「ファニーズ」だった1966年、「ビートルズ」が日本にやって来たんです。これは見なくては、ということで、5人で京都から東京の武道館まで行きました。

彼らがステージに出てきた途端、僕はそのたたずまいに背筋がゾクゾクッとして、音を聴いた瞬間にドーンと胸を打たれました。それまで経験したことのない感覚。言葉でうまく言い表せませんが、非常に感動しました。完全なカルチャーショックですね。

当時、高校生だった僕は反戦活動をやったりしていました。ちょうど60年安保闘争やベトナム戦争があった時代ですからね。

でも、これは学生運動なんかしている場合じゃない、人の気持ちを一瞬にして変える音楽という世界があるんだ、と「ビートルズ」に気づかされました。音楽で伝えるほうが、学生運動よりよほどストレートだと。

あのスティーブ・ジョブズが「ビートルズ」のステージを観て、「僕も彼らみたいに世界を変えるような仕事がしたいと思った」と語っていますよね。僕も同じように思いました。

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