42歳の私が21年後の私へ手紙を書いた理由─人生の意味と孤独、「愛」をめぐる静かな問い
21年後の未来の自分へ手紙を書く——。そんなユニークな試みをしたのは、88歳のニューヨークのベストセラー作家です。人生後半で見つけた幸せをつづった『老いることの驚きと幸せ これから年を重ねていくあなたへ、88歳の作家からの手紙』(アスコム刊)から、一部抜粋して、その興味深いやり取りをご紹介します。第1回は、「42歳のわたしから、63歳のわたしへ」
42歳のわたしからわたしへ
(63歳時に開封のこと)1978年12月12日
ソフィへ
美しく青く澄み渡る、温かい秋の日にこの手紙を書いている。あと2カ月で42歳。かつて21歳だったときに、21年後に開封するつもりで自分宛てに手紙を書いた。その中身はもう思い出せない。ただ、あの過去からの声を開く前に、今この手紙を書いて封をしてしまおうと思う……。
わたしは変わっただろうか? 今は結婚して子どもがいる。心はさまざまな願望で今もいっぱいだ。
さて、人生の意味についてだが、わたしにはあまりわかっていない。
かつて、人生で望んでいたのは「理解すること」だと思っていた。何もかも理解したいと思っていた。人生のすべて、1人ひとりの人間、虫や獣に至るまで、とにかく理解したかった。
理解できたと感じる瞬間があった──思わず息を呑むほどの驚きを感じながら、理解したのだ──そういうことだったのか! と……。
人生の意味を両方の手のひらで受け止めていると感じた瞬間が何度かあった。人生の核心に触れるには、心を充分に開き、知恵を働かせて分析し、洞察力を研ぎ澄ませ、自らを律し、強い憧れを胸に抱きながら手を伸ばせばよかったのだ。そうすれば、すべての核心に触れられた。それこそが「一体感(ユニティ)」だ。完全に理解するとは、一体感の中に吸い込まれ、自分と対象との区別が消え、ひとつに溶け合うことだ。理解するとは、対象と不離一体の状態へと身を浸すこと。その状態を求めて、人は理解したいと強く願うのだ。
もちろん、わたしは対象とひとつになれない恐ろしさを経験したことがある。おそらくそれは、すべての人間の心の奥底で唸り声を上げ、孤独で、人をとらえて離さない恐怖であり、人間は究極的には孤独な存在だと思い知ることである。人はその孤独のあまり、虚ろで形式的な態度の裏に隠れ、思考を停止して決まりきった行動パターンを繰り返し、自分を抑え込み、社会的な仮面をかぶるようになる。もしその仮面を剥ぎ取られたなら、裸の自分があらわになり、無防備でとても不安になる。安らぎを得るには狂気に逃れるしかない。
<中略>
