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中学生で参加したサマーキャンプ。留学先でのリーダー体験。どちらも今につながる貴重な体験でした【山本山社長・山本奈未さんのターニングポイント#1】

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ゆうゆう編集部

「上から読んでも山本山、下から読んでも山本山」――そんな海苔のCMでおなじみだった「山本山」は、ゆうゆう世代の誰もが知る老舗企業。2023年に同社の社長に就任した山本奈未さんは、初代山本嘉兵衛(かへえ)から数えて十一代目となる山本家の当主でもあります。創業335年の歴史ある企業をけん引する若き女性リーダーに、人生の転機となった出来事を伺いました。

中学生のときに参加したサマーキャンプがきっかけで海外留学を決意

――日本最古の煎茶商として江戸時代に創業し、昭和になってからは海苔の販売もはじめた「山本山」。山本社長はそんな歴史ある家のお生まれですが、ご両親には幼い頃から厳しく育てられたのでしょうか?

勉強を頑張るよりも、好きなことを見つけて追求するという家庭の方針で、家業のプレッシャーなく、幼少期を過ごすことができました。中学生くらいから、だんだん周りを気にし始める年代になると、“跡継ぎ”という意識が自然にめばえていったような気がします。

――中学生のときに、アメリカでサマーキャンプに参加されたとか。

私、海外生活が長いのですが、その長い海外生活の原点といえるものでした。通っていた塾を通して学校の夏休み期間に参加した3週間くらいの比較的長いサマーキャンプで、滞在先はフィラデルフィア(ニューヨークとワシントンD.C.の中間にあるペンシルベニア州の都市)でした。“キャンプ”なので勉強をするのではなくて、工作の時間があったり、乗馬の時間があったりするんです。もちろん会話はすべて英語ですが、日本の中学生レベルの英語で乗り切りました。

――その体験がどのように山本社長の人生に影響を与えたのですか?

このサマーキャンプがきっかけで将来は海外へ行きたいと思うようになったので、私にとっての最初のターニングポイントです。具体的には、海外留学をめざすことにしました。ただ、その時点では何か強い目的意識があったというわけではなくて、とにかくそのサマーキャンプが楽しかったんですよね。

日本を出て「山本山の山本さん」というレッテルをはずしてみたかった

――その後、海外の大学に進学して夢を実現されたんですね。

はい。少しネガティブな印象を与えてしまうかもしれませんが、日本にいるとどうしても「山本山の山本さん」というレッテルを貼られてしまうんですよね。それを一度はずしてみたいという気持ちもありました。入学したのはアメリカ西部の私立アイダホ大学です。在籍者数が800人くらいの小さな大学で、日本人は学年に1人いるかいないかというくらいでした。

――海外での学生生活はいかがでしたか?

専攻は国際政治学と経営管理学で、とても充実した4年間でした。大学に外国人学生のための組織があって、そのメンバーにもなったんです。イベントを催したり、外国人ならではの悩みを共有したりする組織だったのですが、たまたまその組織のプレジデント(代表)を務めることになって。それは私にとって初めての「リーダーシップをとる」という体験でした。

――外国人の組織をリーダーとしてまとめていくのは大変そうですね……。

メンバーは国籍もさまざまで、価値観もそれぞれ。時間に対する感覚もバラバラで、たとえばミーティングの開始時間を午後5時と伝えても、5時30分とかに来るんですよね。悪びれる様子もなく(笑)。日本人なら何も言わなくてもみんな5分前に来ますよね。それが通用しないので、これからまとめいくのは大変だなと思いました。

――そんな自由なメンバーたちをどうまとめていったのですか?

怒ったり厳しくしたりするのではなく、共通認識をつくるところから始めました。アメリカでは時間に遅れることはいけないことだとか、みんなで決めたことは大切にしようとか。私たちの組織が主催するフードフェスティバルという大きなイベントがあって、そのためにミーティングを重ねました。メンバーがそれぞれ自国の料理を用意してキャンパスで学生みんなにふるまうんです。海外の大学に進んだということよりも、そこでリーダーシップをとる体験をしたことが、私にとって今につながるターニングポイントでしたね。

「山本山」の歴史を大切にしながら新しいチャレンジも

中学生で参加したサマーキャンプ。留学先でのリーダー体験。どちらも今につながる貴重な体験でした【山本山社長・山本奈未さんのターニングポイント#1】(画像3)

日本橋にある「山本山 ふじヱ茶房」店内

――大学卒業後すぐに山本山に入社され、YAMAMOTOYAMA U.S.Aに出向されるなど、社長就任前から精力的に仕事をされてきましたが、山本山のリブランディング(ブランドの再構築)も山本社長が中心になって進めたそうですね。

335年前に煎茶を世に広めたのが山本山で、玉露を発明したのも当社です。山本家とお茶の歴史はとても深くつながっていて、そこから日本の文化を垣間見ることができるんですね。もともと山本山にはお茶も海苔もいい商品があったのですが、お客さまにその歴史やストーリー性がきちんと伝わっていなかったのではないかという思いがありました。そのため、商品のリブランディングというより、会社全体のリブランディングをおこなう形になりました。

――10年ほど前の施策とのことですが、それが今、実ってきましたか?

そうですね。ようやく統一感が出てきたかなと思います。当社の歴史を大切にしつつ、今年は期間限定でキッチンカー形式のティースタンドをオープンしたり、「治一郎」さんとのコラボでほうじ茶や抹茶のバウムクーヘン(完売済み)を発売したりしました。弊社の新しい取り組みに賛同してくれる社員や社外のパートナーさんと一緒に、新しいことへのチャレンジも続けています。

山本山社長・山本奈未さんのターニングポイント①
「中学生のときにアメリカでのサマーキャンプに参加して海外留学が目標に。その後進学したアメリカの大学では学生組織の代表になり、このときのリーダー体験が今につながっています」

プロフィール

山本奈未さん

やまもとなみ●1690年(元禄三年)に煎茶商として創業した「山本山」の代表取締役社長にして山本家十一代当主。2009年にThe College of Idahoを卒業し、同年に「山本山」に入社。海外事業部部長やYAMAMOTOYAMA U.S.A社長などを歴任し、2023年に代表取締役社長に就任。同年、ハーバード大学経営大学院 OPM 修了。上質なお茶と海苔の販売のほか、お茶と海苔を使ったさまざまな食品を展開している。プライベートでは、アメリカ人の夫とともに2人の子どもを育てている。

DATA

山本山 ふじヱ茶房
住所:東京都中央区日本橋2-5-1 日本橋髙島屋三井ビルディング1階
※詳細は公式サイトをご確認ください。
お茶・海苔・ギフトは日本橋の老舗 山本山オンラインショップ

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撮影/土屋哲朗 構成・文/志賀朝子

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