「ひとりぼっち」の年末年始も怖くない。禅僧・枡野俊明さんが教える「禅」と心の拠り所の作り方
今回の相談は、30代で離婚してひとり暮らしをしてきたという女性。自分の好きなようにできる生活が気に入っている一方、世の中が華やぐ年末年始に強い孤独を感じるそう。孤独との向き合い方について、禅僧・枡野俊明さんに伺いました。
門を開けば
「開門福寿多(門を開けば福寿多し)」
自ら門を開くことで福を招き入れようという禅の言葉です。
今回は「世の中が華やぐ年末年始に強い孤独を感じる」という方からの相談です。枡野さんのアドバイスは?
<今月のテーマ>
「たまに、強い孤独を感じます。」
30代で離婚して、ひとり暮らしで子どもはいません。収入は多くないながらも、何とかやりくりはできていて、少しは蓄えができました。普段は、自分の好きなようにできるこの暮らしが気に入っているのですが、街が賑やかになる季節など、たまにどうしようもなく孤独を感じることがあります。
ひとりぼっちではない もうひとりの自分がいる
30代で離婚を経験され、それからずっと自分の人生をご自身で支え、生きてこられたのですね。文面からもその自負と満足感が伝わってきます。
ひとりで生きるのは自由で、楽しいことも多かったことと思います。一方で、ときにたまらなくさびしくなる気持ちも、人間として当たり前の感情ではないでしょうか。
特にクリスマスや年末年始は家族で過ごす人も多いため、「自分はひとりぼっちなんだ」と痛感する……そのお気持ちはとてもよくわかります。でも、あなたはけっしてひとりではありません。
「把手共行」という禅語があります。手に手をとって、ともに歩いていくという意味です。心の拠り所のような存在をあらわす言葉でもあります。
相談者さんは「私にはそんな相手はいない」と思うかもしれませんが、そうではありません。手を取りともに歩く相手は、自分自身です。
誰しも心の奥底には、一点の曇りもない清らかな心があるのです。禅ではこれを「本来の自己」と呼びます。意識するしないにかかわらず、私たちはずっと「自分の心」と一緒に生きてきたのです。そしてこれからは、ことあるごとに「自分の心」に問いかけ、対話し、生きていくことをおすすめします。そうすれば、自分はけっして孤独ではないと気づくことでしょう。
一人であっても一人ではない——の考え方は仏教には常にあるものです。四国のお遍路さんの菅笠(すげがさ)や白衣(びゃくえ) には「同行二人(どうぎょうににん)」と書かれていますが、これは「私は一人ではない。弘法大師とともに歩いている」という意味です。
心の中にはいつも弘法大師がいると思えば、お遍路の旅もさびしくないし、怖くないと思えるのです。
