記事ランキング マンガ 連載・特集

【べらぼう】松平定信(井上祐貴)の悲惨な失脚劇、ロシア船来航との関係は?

公開日

更新日

鷹橋 忍

苦肉の策でラクスマンを帰国させる

幕府は、幕府の役人を松前に送り、ラクスマンと面会させる方針を固めました(岩﨑奈緒子『〈ロシア〉が変えた江戸時代 世界認識の転換と近代の序章』)。

松平定信は同年11月11日に、石川忠房と村上義礼の二人を宣諭使(せんゆし/幕府の意向の代弁者)に任命し、様々な指図を与えて、翌寛政5年(1793)松前に派遣しています。

同年6月21日、宣諭使たちは日本側の要請により松前に来たラクスマンと面会し、「国法書」を伝達させました。国法書には、「日本の国法によれば、外交交渉の地は長崎であり、江戸への来航は禁じられている。ゆえに、通商要求は、長崎の地で行なうべきである。ただ、突然に長崎を訪れても入港できないので、入港許可証となる信牌(しんぱい)を渡そう」とあり(藤田覚『松平定信 政治改革に挑んだ老中』)、これを伝達した直後、大黒屋光太夫ら日本人漂流者は宣諭使に引き渡され、ラクスマンは宣諭使から信牌を受け取りました。

実は、国法なるものは存在しないのですが(高澤憲治『人物叢書 松平定信』)、松平定信らは国法に反するとして、ロシアの要求を退けようとしたのです。その結果、ラクスマンは長崎に向かうことなく、同年7月13日に日本を後にしています。

こうして危機は去ったのですが、これは皮肉な結果を招くことになります。

【べらぼう】松平定信(井上祐貴)の悲惨な失脚劇、ロシア船来航との関係は?(画像3)

大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」第42回より ©NHK

松平定信、失脚

この頃、独裁的傾向が強い定信に対して、幕閣内部で反感が高まっていました。水面下では生田斗真さんが演じる一橋治済(はるさだ)や、矢島健一さんが演じる本多忠籌(ただかず)、福山翔大さんが演じる松平信明(のぶあきら)などにより、反定信派が確立されつつあったといいます。また、定信の諸政策に対して世間は不満を募らせており、大奥も定信に反感を抱いていました。

寛政5年(1793)7月、本多忠籌は、定信の独裁的傾向が、城桧吏さんが演じる第11代将軍・徳川家斉(いえなり)の親政を妨げることを未然に防ぐため、家斉の実父である一橋治済の賛同を得て、定信を将軍補佐と老中の双方から解任するという案を、老中の評議にかけています。

その結果、定信は7月23日に依願辞任の形で将軍補佐と老中を解任されました。定信、36歳の時のことです。同年7月13日にラクスマンが去り、危機を脱したことにより、この政変を断交する状況が整ったとみられています(高澤憲治『人物叢書 松平定信』)。

ドラマと同じように、定信も悔し涙を流したかもしれません。

【べらぼう】松平定信(井上祐貴)の悲惨な失脚劇、ロシア船来航との関係は?(画像4)

大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」第43回より ©NHK

▼あわせて読みたい▼

>>【べらぼう】強烈なキャラが登場! 葛飾北斎(くっきー!)と曲亭馬琴(津田健次郎)の生涯は? >>【べらぼう】松平定信(井上祐貴)と一橋治済(生田斗真)はなぜもめているのか? >>【べらぼう】蔦重(横浜流星)は「身上半減」で何もかも半分にされたのか? 京伝(古川雄大)が書いた洒落本の内容は?
画面トップへ移動