【豊臣兄弟!】織田信長(小栗旬)が桶狭間の戦いに至るまでの生い立ちは?
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鷹橋 忍
19歳で家督を相続
父・信秀の病が快復に向かう様子はありませんでした。そのため織田弾正忠家では、信長と信長の同母弟・中沢元紀さんが演じた織田信勝(のぶかつ/後に達成、信成と改名)を両立する態勢をとることになります。
天文20年(1551)9月からは、信秀が晩年から居城としていた末森城(愛知県名古屋市)で、信勝が父に代わって活動をはじめました(柴裕之『織田信長 戦国時代の「正義」を貫く(中世から近世へ)』)。
天文21年(1552)3月、信秀が42歳で病死すると、信長は織田弾正忠家の家督を相続しました。信長、19歳の時のことです。信長が家督を継いでも、織田弾正忠家は不安定な状況のため、信長・信勝の両立態勢は継続されました。
主家筋・織田大和守家を滅ぼす
信長は、織田弾正忠家の勢力回復に努めました。織田弾正忠家の主家筋である織田大和守家の当主の重臣であった坂井大膳(だいぜん)らは、信長と対立し、織田弾正忠家の傘下の城を攻撃しました(柴裕之『織田信長 戦国時代の「正義」を貫く(中世から近世へ)』)。
これを受け、信長は天文21年(1552)8月、織田大和守家の拠点である清須城攻めに出陣し、萱津(かやつ/愛知県あま市)で織田大和守家の軍勢と戦っています。
天文22年(1553)7月には、坂井大膳らが、清須城に仕えていた守護大名・斯波義統(よしむね)を信長に通じているとみて、暗殺してしまいます。これを知った義統の子・斯波義銀(よしかね)は信長を頼りました。大義名分を得た信長は清須城を攻撃し、織田大和守家を滅ぼしました。
しかし、戦いは終わったわけではありません。信長への対抗をみせる弟の信勝と、信勝を擁立しようとする家臣や織田伊勢守家と敵対していくことになります。
弟との抗争
弘治2年(1556)4月、信長を支援していた舅の斎藤道三が、嫡子の斎藤高政(義龍)と長良川で戦い、命を落としました。
信長が後ろ盾を失い、孤立すると、信長の一番家老・諏訪太朗さんが演じる林秀貞(ひでさだ)と、彼の弟・林美作守(みまさかのかみ)、山口馬木也さんが演じる柴田勝家(この頃の勝家の主君は信勝)らは、信長の代わりに信勝を織田弾正忠家の家督に擁立しようと企みました。
信長と信勝の対立は合戦へと発展します。合戦は同年8月に稲生(いのう/愛知県名古屋市)で行なわれ、信長は信勝の軍勢を破りました。ところが、信勝はまだ諦めていませんでした。
柴田勝家の密告
信勝は今川義元や美濃の斎藤高政(義龍)、織田伊勢守家と結び、またもや謀反を企てました。しかし、この企ては信長の知るところとなります。柴田勝家が密告したからです。
企みを知った信長は、永禄元年(1558)11月、信勝を清須城に呼び寄せて、家臣に殺害させました。『信長公記』によれば、この時の忠節により、勝家はのちに、越前国という大国が与えられたといいます。
その後、信長は永禄2年(1559)2月には上洛して室町幕府13代将軍・足利義輝(よしてる)と対面し、翌年には、桶狭間の戦いで今川義元を倒しています。
信長や秀吉・秀長たちの、これからの活躍が楽しみですね。
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