81歳の食養料理研究家 オオニシ恭子さんのすすめ。ひとり暮らしは健康第一! その人に合った食材で体を調える「やまと薬膳」を
欧州から奈良の古民家に移住して、ひとり暮らしをしながら、料理教室や食事会を開き、食と健康の大切さを伝えているオオニシ恭子さん。「まだまだやりたいことがある」と笑顔で話すオオニシさんに、普段の暮らしぶりと元気の源を伺った。
PROFILE
オオニシ恭子
おおにし・きょうこ●食養料理研究家
1941年、東京生まれ。食養料理研究家の桜沢リマ氏に学び、81年に渡欧。以来32年、「ヨーロッパ薬膳」の普及・指導に努める。2013年、奈良・初瀬の地に移住し、「やまと薬膳」の活動を開始。著書に『なにを食べるかはからだが教えてくれる。』
(PHP研究所)など。
20代で初めて知った体に合う「食」の大切さ
食べ物にはそれぞれ性質があり、私たちの体質もひとりひとり違う。だから自分の体質に合った食を見つけることが体のケアになり、不調や病気の予防にもなる──。そんな「食養法」の研究家として活躍しているオオニシ恭子さん。オオニシさんが食養法と出合ったのは、結婚してすぐの20代の頃だった。
「結婚後、急に手が荒れ始めました。あちこちの病院に行きましたが、誰も治してくれない。原因がわからず、調べるために首の後ろの皮膚を1センチ切ると言われ、冗談じゃないわと逃げ出しました。そんなとき、偶然見つけたのが食養法の本。すべての病気は食べ物に原因があるので、食べ物を正せば病気は治る、とありました。半信半疑で食を変えてみたところ、1週間ほどでみるみるよくなり、すっかり治ったのです」
食がこんなにも大事だなんて知らなかった。どうして今まで誰も教えてくれなかったのか……。ショックを受けたオオニシさんは、若手のホープとして嘱望されていたインテリアデザインの仕事を辞め、食養料理研究家の桜沢リマ氏のもとで食養法を学んだ。1981年、ベルギーへ渡り、食養法を基本とした「ヨーロッパ薬膳」を指導するように。以来32年、ベルギーだけでなく、オランダ、フランス、イタリアなどヨーロッパ各地で料理講習を行い、食のアドバイスを続けた。
「玄米食やみそ汁など、食事を変えたら多くの人の病気が治っていくんです。やればやるほど、食の大切さを実感することになりました」
忙しくも充実したヨーロッパでの日々。しかし2011年、東日本大震災が起こった。原発事故で不安を抱える福島の人々のために「何かできることはないか」と考えたオオニシさんは、福島に足を運び、料理講習などのボランティアを行った。そして本格的に帰国を決意。13年、奈良・初瀬の地に移住した。
「以前から、もし日本に帰ったら、山の近くで日本的な木の家に住みたいなと思っていたんです。奈良の古民家にご縁をいただき、ここでひとりで暮らすことに決めました」
エネルギーは昼食で しっかりチャージ
帰国してから約10年、この古民家でひとり暮らしをしながら料理教室や食事会などを開催。「ヨーロッパ薬膳」は「やまと薬膳」と名を変え、日本の食材を取り入れ季節や環境に合った食養法を提案している。
「日々、お料理教室で教えていますが、生徒さんたちと一緒に食事をすることが私自身の健康にもつながっていると思います」
起床は毎朝6時半くらい。朝食はほどよく、昼食はしっかり、夕食は軽く、がオオニシ流。
「夜は食べないこともあるので、朝はおなかがすきます。お餅やおかゆを食べたり、味噌汁を1杯いただいたりと適度に食べ、お昼はしっかり食べるようにしています」
手荒れの経験以来、病院は苦手。幸いに、これまで病気もケガもほとんどしなかったが、今年5月、予想外の出来事に見舞われた。
「階段で足を踏み外して7段くらい落ちてしまいました。顔やひざを強打して、腫れてしまって。その場に居合わせた生徒さんが『救急車!』と大騒ぎしましたが、私は力を振り絞って『救急車は呼ばないでください』と言いました。『それよりも、そこに里いもが2個あるから、皮をむいて』とお願いしたんです」
皮をむいてすりおろした里いもに小麦粉などの粉を入れてペースト状に。それを一つは顔に、もう一つは腫れて青あざになった膝に貼り、痛みをこらえて教室を続けた。
「翌日、生徒さんたちは驚いていました。体のあちこちにあざがあったものの、里いもを貼ったところだけは腫れやあざがほぼ消えていたので。皆さん、『お手当の効果がよくわかりました』と言ってくれました」
とはいえ、ボディチェックは必要と、整体院へ行くと……。
「骨折はなく、体も正常。先生からも驚かれて、『何か健康法があるんですか?』と聞かれました。特別なことは何もしていないけれど、強いて言うなら床のふき掃除や庭の掃き掃除。ヨガのポーズみたいな感じで体を動かしていると言ったら『それですね』と納得していました」