「年下との付き合い方」と「苦手な人との接し方」。禅僧 枡野俊明さんに学ぶ
相手が受け入れやすい言葉を使って話ができるように、余裕を持ちたいものですね。
それは相手におもねるのではなく、敬意を払うということ。
では、相手が苦手な人だとどうでしょう。どうしてもうまくつきあえない人だったら?
枡野さんは、ほどよい距離をとることが大切とおっしゃいます。
おつきあいをゼロにするのではなく、ベタベタするのでもない、ほどよい距離とは?
『悩みを手放す21の方法』から、苦手な人との接し方を参考にさせていただきましょう。
苦手な人とは距離をとることも必要です
どうにもうまくつきあえない人、苦手な人もいるかもしれません。人間関係は合わせ鏡のようなものですから、あなたが苦手に感じているなら、相手もあなたに同じような 感情を抱いていることでしょう。
そういう人とは、無理につきあわなくてもいいと私は思います。といっても「絶縁する」という乱暴なことではなく、できるだけ会わないですむように距離をとるのです。特に相手が親戚だったり、職場の同僚だったりすると、おつきあいをゼロにすることは できません。必要な打ち合わせなどでは誠意をもって対応しつつ、それ以外の場ではなるべくかかわらないというスタンスでいましょう。親戚であれば、法事やお祝い事など必要最低限のかかわりはないがしろにせず、それ以外のお誘いは丁寧な言葉でお断りするのがいいでしょう。
そうやって距離をとっていても、何かのタイミングで関係が復活することがあります。たとえば相手が重い病気になった、連れ合いを亡くされたなど、つらいことがあったときです。そんなときには少し距離を縮め、あたたかな言葉をかけてあげたいものです。
「お気持ち、お察しします。何かできることがあれば言ってくださいね」と。
若い頃には理解し合えなかった人でも、人生の苦味をいくつも経験したなかでわかり合い、突然関係性が変わることもあるのです。人間とはおかしなものです。だから、関係をプツンと切ってしまうのではなく、つかず離れず、ほどよい距離をとることが大切だと思います。
古代中国の思想家・荘子の言葉に「君子の交わりは淡きこと水のごとし」というものがあります。よい人間関係というものは、水のようにあっさりしたものであるという意味です。これに続き、「小人の交わりは甘きこと甘酒のごとし」といっています。ベタベタとつきあうのではなく、ほどよい距離をとる。それがお互いを尊重することにつながるのです。
もうひとつ、禅とかかわりの深い茶の湯の言葉に「一期一会」があります。今、この人と会っているこの時間は、二度と巡ってくることのないかけがえのないもの、ありったけの心を込めてその時間を過ごしましょう、という意味です。これは毎日会う人でも、あまり好きでない人でも同じです。あなたが敬意をもって接していれば、相手もきっとそうしてくれます。人間関係は、合わせ鏡なのですから。
<一禅チャレンジ>
過去の自分を捨てる
男性にありがちなのですが、仕事をリタイアしたあとでも以前の経歴や役職を引きずってしまう人がいます。「私は〇〇商事に勤めていた」「会社では役員だった」と、聞いてもいないのに言いたがり、周囲の人はひいてしまいます。やめたほうがいいですね。
女性も同じです。ときにはご自分のことだけでなく、夫の経歴や子どもの学歴などを話題に上らせていないでしょうか。
新しく趣味のサークルなどに所属した場合、そこではまったくの 新人のはず。経験豊富な人を尊重し、真摯に学ぶ姿勢でいましょう。そうやって自分を更新していく姿勢こそ、過去の経歴以上に人をひきつける魅力になるはずです。
※この記事は『悩みを手放す21の方法』枡野俊明著(主婦の友社)の内容をWEB掲載のため再編集しています。
悩みを手放す21の方法
枡野俊明著
主婦の友社刊
戸惑ったりイライラしたりの毎日、そんな心を支えてくれるのが「禅」の考え方です。禅というと、坐禅を組むことが思い浮かびますが、禅では生活そのものが修行なのです。歩く、立ち止まる、座る、横になる。そんな日常の立ち居振る舞いすべてが修行になります。この本では、生活の中に禅的なものを取り入れる21の行動(形)を、禅僧である枡野俊明さんが自ら手本を示しながら教えます。まずは呼吸する、立つ、座るといった「形」を整えることから。そして、食事や生活習慣などの行動、コミュニケーションについて。内面(心)を整えるためには、まず形(行動)から入るのです。行動から入れば、心はあとからついてきます。大切なのは、頭で考えたり悩んだりする前に「行動する」こと。この本を読み終える頃には、禅的生活がきっと身についているはずです。困ったり怒りが湧いてきたら、丹田を意識して、息を吐くこと。それも立派な「禅的生活」です。