人生後半戦の『ターニングポイント』を前向きに!
82歳・伝説の女医が振り返る半生「50代は仕事を全うできなかった」多くの女性が共感するその深刻なワケとは?【天野惠子さんのターニングポイント#1】
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植田晴美
60代は疲れ知らずの絶好調期! 精神的な充実も大事
天野さんが担当する女性外来は大きな注目を浴び、“女性医師による女性のための女性医療”としてマスコミにも大きく取り上げられ、たくさんの患者さんが訪れました。
更年期のつらさを脱したといはいえ、60歳=還暦となると、また別種の体力、気力の衰えを感じるのでは?
「いえいえ! 60代は心身ともに絶好調期。私自身、50代は医師としての仕事を全うできなかったという悔いがありました。だから更年期症状のつらさから解放された60代、仕事にも以前と同じように全力で取り組めることが本当にうれしかった。
毎日がバラ色。気力も体力も充実していてルンルンでしたよ。当時、私は自宅から東金病院まで通っていたので、通勤時間は往復6時間もかかりましたが、疲れなんて全く感じなかったほど元気。
全国からたくさんの患者さんが相談に来てくださる。その期待と信頼に応える性差医療に手応えを感じていたからだと思います。精神的に充実しているということは、健康にとって非常に重要なことですね」
と、にこやかに話す天野さん。
とはいえ、医学界は圧倒的に男性優位社会という歴史があります。“出る杭は打たれる”ではありませんが、性差医療のパイオニアとして世間に評価されればされるほど、周囲から妬まれたり足を引っ張られたりなどのご苦労はなかったのでしょうか?
「そうですね。もしかしたら、そういう気持ちを持っていた方もいたかもしれません。でも幸いなことに、私の周りには性差医療の必要性を理解し、私自身の活動を応援してくださる先輩医師がたくさんいらしたので」
信頼できる先輩に話を聞いてもらうことで、ストレス解消
実は天野さんは41歳まで無給の医局員として働き、週1回のアルバイトで稼いだお金を家政婦さんに払うという生活だったそう。
長らく男性中心の日本社会、とくに医学界で子育てをしながら働くことは私たちが想像する以上にきびしく、周囲の理解や協力を得ることが困難だったと言います。
「理不尽な働き方も我慢しなければならない時代だったのです。今も女性が子育てをしながら働くのは大変だと思います。職場の理解はもちろんですが、家族の理解や協力も必要ですしね。私自身、公私ともにストレスゼロというわけではありませんでしたが、身近にいろいろな話を聞いてくれる、相談にのってくれる先輩がいたことで、ずいぶん助けられました」
なるほど。悩みは誰かに話すだけで気持ちがラクになるもの。スーパーウーマンの天野先生も私たちと同じような方法でストレス解消していたとうかがうと、ちょっとホッとしますね。
さて。さまざまなご苦労がありながらも、“医師は一生続けたい仕事”と話す天野さん。
次回は次々に新しいことにチャレンジした70代を語っていただきます。
天野惠子さんのターニングポイント①
50代のつらい更年期体験を、60代の医師活動に活かす。ピンチをチャンスに! 無駄な経験というものはない。
撮影/三角茉由
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