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70代で天職に出会った77歳女性。専業主婦、離婚…紆余曲折の経歴とは?【人生100年時代の働き方白書】

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ゆうゆう編集部

71歳のときマーカーペンを拾ったことをきっかけに、まったく縁のなかったアートの世界へ導かれた杉山憲子さん。画家という天職を得るまでの紆余曲折を語ってもらいました。

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PROFILE
杉山憲子さん リボーンアーティスト、整体師

すぎやま・のりこ●1947年青森県生まれ。
結婚を機に転居した埼玉県で3人の息子を育て上げる。
50代で離婚を決意。離婚後、岩手県で整体院を開業。
71歳で画家としての活動も始め、国内外の展覧会で入選・入賞を果たしている。

71歳でスタートした画家としてのキャリア

美大出身ではない杉山さんは、作品だけで判断してもらえそうと海外の展覧会に多く出品。一昨年には個展も開催した。

遊びに一生懸命で集中力があった幼少期

整体院を兼ねた杉山憲子さんの自宅には、ところ狭しと杉山さんのアート作品が並んでいる。傷つけないよう慎重に作品の移動を試みていると、「再生アートだから破けても大丈夫! もっと素敵に直せるから!」と元気な声が。

そう、杉山さんはリボーン(再生)アートを手がけるアーティスト。古い着物の帯がキャンバス、着物を裂いた色とりどりの布片が絵の具代わり。整体師として患者さんと向き合い、空いた時間は制作に没頭する毎日を送っている。整体師の仕事は59歳から、アート活動は71歳からのスタートというから驚きだ。

現在77歳の杉山さんは、戦後まもなく一家の疎開先だった青森県・津軽半島の陸奥湾を望む村で生を受ける。

「とにかく一生懸命遊ぶ子どもでした。離れたところから当てるビー玉遊びが得意で、小学生のときはそろばんの暗算競技で1位を取ったことも。今思うと集中力があったんでしょうね」

その頃、杉山さんの父親が重い糖尿病を患う。薬に頼りたくないと自ら指圧療法を習得した父親は、努力家で多くのことを自ら学ぼうとする人だった。かたわらには健康に関する本や歴史書があり、杉山さんも何とはなしに読んでいたそう。父親は食事療法も学んでいて、当時は珍しかった玄米や青汁などをとる先進的な家庭だったという。

整体院は宣伝をせずマイペースで営業中

口コミで来院する患者さんが中心。施術だけでなく、杉山さんのカウンセリングも人気だ。

苦しみ抜いた自分だから描ける絵がある

苦しみを抱える人に「ともに乗り越えよう」と、東日本大震災の《奇跡の一本松》を描いた大作。全部で7作品ある。

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